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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■カラオケホテルの夜/『ショック・サイエンスR』1・2巻(あすかあきお)
アメリカン・ニューシネマの傑作とされる『明日に向って撃て!』の映画監督ジョージ・ロイ・ヒルが昨27日、パーキンソン病の合併症のため死去。享年80。
「アメリカン・ニューシネマ」とひとくくりにされちゃいるが、旧来の脳天気エンタテインメントに完全に背を向けていたスタンリー・キューブリックやアーサー・ペン、マイク・ニコルズ、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、マーティン・スコセッシと言ったニューシネマの旗手たちと違って、ジョージ・ロイ・ヒルは「ニューシネマの皮をかぶった普通のエンタテインメント」を作ろうとしてたんじゃないか、という気がしてならない。
ご承知のとおり、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)は映画のラスト、銃撃戦を直前にストップモーションとなり、生死はわからず、というエンディングを迎えるのだが、もちろん「実在」のこの二人は壮烈な死を遂げるのである。
似たようなタイトルだが内容の全く異なるアーサー・ペン監督作『俺たちに明日はない』では、ボニー&クライドの死をこれでもかというほどに描写した手法に比べれば、『明日に向って撃て!』のラストはいかにも「甘い」。リアルになる寸前でファンタジーで終わらせていると言ってもいい。しかしだからこそ、このエンディングは無数の「模倣」を生んだ。最近では映画版『仮面ライダー龍輝ファイナル』までなんの工夫もなくこのエンディングをマネしていたので、いやはや、オリジナルの罪の深いことであるよ、と嘆息したものである。
バート・バカラック作曲の主題歌「雨にぬれても」の軽妙な曲調を考え合わせてみても、『明日に向かって撃て』の描こうとした世界が当時の「ニューシネマ」が指向していたリアル路線の系列に入れてよいものか、という疑念を私は昔からぬぐい切れていない。もちろんいささか幼稚な「反権力」の姿勢、という点での共通はあるのだが。
それでもヒル監督の「反権力」思想は、作品中で声高に叫び演説するようなウルサイものでもなく、怠惰な犯罪者を主役にするような重さやねちっこさもない。『明日に……』の姉妹編とも言える『スティング』がもう全く純粋なコン・ゲーム・エンタテインメントとして成立していることを考えてみてもそれはわかる。
そうたくさんの作品を残してはいないが、ヒル監督に駄作はなかった。
「安心して」見ることのできる監督であるという点では結構稀有名人であったのではなかったかと思う。
午前中だけ仕事。
昼過ぎに帰って、チョイと昼寝。
最近、しげがクサイ。
いや、比喩とかそんなんではなく本当に臭いのである。
いったいどれくらい風呂に入ってないものか、近寄るとツンと饐えた匂いが鼻腔を刺激するのだ。
私も妻の悪口は散々書いてきているが、そこまで真実を書いてしまうのは、あまりにヒドイのではないか、いくら夫婦だからってプライバシーというものがあろう、と不快に思われるかもしれないが、そのしげ本人が、自分の腕をコスって、「ほーら、こんなに垢が♪」と私の顔面に突きつけようとするのだ。
夫婦だからって、やっていいことと悪いことがあるやろ。てゆーかよ、普通の夫婦は自分の垢を相方にこすり付けたりゃぁせんわい。
いや、垢の話は前フリである。
どんなに汚い場所でも食料さえあれば棲息していけるオモライ君なみの生命力を持つしげですら、さすがにカラダがちょっと痒くなってきたらしい(ちょっと程度かよ)。
いきなり「フロに行きたい!」と言い出したのである。
「フロって、……入りゃいいじゃん」
「狭い風呂はイヤと! 広くてのびのび〜ってできるとこがいいと!」
「なら、温泉センターにでも行くか?」
「一緒に入れんやん!」
「誰と?」
「あんたと!」
「なんでおまえと一緒に入らなきゃなんないんだよ!」
「背中コスってもらえんやん!」
「背中くらい自分でコスレや!」
「自分だと手がとどかんとよ!」
それは太りすぎてるせいである。
「じゃあ何か? 混浴の温泉にでも行きたいのか? そんなんこの近くにはなかろ?」
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12月28日(土)
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