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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■探偵って卑下しなきゃならない商売なのかね/映画『トリック 劇場版』
 ここんとこなんとか週に一本は映画に行けるようになっている。
 しげとの休みがちょうど合ってるおかげだけれど、一緒に行動することが少ないと、しげの機嫌はどんとん悪くなっていくので私もホッとしている。
 なんせ私にベタボレなしげは、私がちょっと目を逸らしただけで寂しがって「いや〜ん!」と言って抱きついてくるのである。傍目には嬉しそうな光景であるかもしれんが、日頃クッカーで腕の筋肉をレスラー並に鍛えているしげに「フンギュッ!」と抱きつかれるのである。マジで上と下からナカミが出そうになるのだ。逃げると「オレのこと好かんと〜!」と言ってダイダロス・アタックを掛けてくるのである。死ぬって。
 まあダマ婆さんに「お爺さ〜ん!」と襲われるようなもんだと思っていただければよろしい。
 しげのココロを落ちつかせるためには、日頃から「ボクはいつも君のこと思ってるよ」ビームでもしげに発してなければならんのだろうが、私はフツーの人間なのでそんな怪しいビームは出せない。仕方なく、できるだけ一緒にいて、しげが泣いたり怒ったり○○したりしてもすくに機嫌を取り結ぶことができるようにしてなきゃならんのだが、そのためには見に行く映画も厳選せねばならない。面白い映画だと見終わったあとは私もしげもニコニコなのだが、つまんない映画だと、途端にしげの眼は三白眼と化し、「なんでこんなつまんない映画にわざわざ連れてきたんだ二時間ずっと苦痛だったぞケツは痛いし腹は下るし酸欠起こして頭痛はするしこれはオレへのイジメかそうかそうなんだなこいつオレのことなんてなにも考えてないんだクソ悔しい悔しいどうしてくれよう」と言う目つきに変わっているのだ。
 で、今日、見に行く予定の映画は『トリック 劇場版』である。
 ……これって自殺行為か?(^_^;)

 トリアス久山に向かう車の中で、前を行く車を指してしげが、「あれヤン車やね、で、オレたちと一緒のとこへ行くよ」と言い出す。
 マンウォッチングの趣味でもあるのかと聞いたら別にそういうことではないらしい。私には見た目どういうのがヤン車なのかは分らないが、少なくともトリアスに行くなんて断定はできないと思ったので、その旨をしげに告げたら、「絶対だ」と主張する。
 「なんでトリアスに行くって断言できるんだよ。別の用事かもしれないじゃん」
 「だってトリアスから向こう、何もないよ? ヤンキーがこんな寂れた所、トリアス以外にどこに行くんだよ」
 「わかんないじゃん、もしかして誰か家族が危篤で、慌てて家に向かってるとか」
 「賭ける?」
 「いや賭けないけどね」
 で、間もなくトリアスに着いたのだが件の車、しっかりトリアスに入っていきやがった。しげが勝ち誇ることと言ったら。日頃から頭悪い頭悪いとなじられつけてるから(言ってるのは私だが)、ちょっとばかし知恵が働いたことが嬉しくて仕方がないのだろう。でもやっぱ偶然だよな。

 ずっとずっと昔、当時の彼女に「喫茶店で道行く人のマンウォッチングでもしようか」と言ったら、スゴイ形相で嫌われたことがあった。他人のことを勝手に憶測するのは卑劣で汚らわしく、人の道に悖る行為だそうである。
 でもエスパーでもない限り、人は自分以外の人がどんな人間か分らない。だからいつだって「この人は何を考えているのだろう?」なんてことが気にかかる。しげなど一時期は(今でもそうかもしれないが)他人を「敵か味方か」だけで考えていた。無条件で相手を信頼することができないから、人は人を外見や素性で判断する。もちろんそれは偏見であり差別であり、だからこそ昔の彼女の言わんとすることも理解はできるのだが、実は人はその偏見を通してしか人を判断することができないのである。
 そして人は自らもまた他人から「見られて」いるのであり、そのことを覚悟しなければ人は人の中で生きて行くこともできはしない。私は風采も上がらない中年だが、だからと言ってその事実を否定して「オレを中年と呼ぶな!」と叫んだりしたら世間からは「アホか?」としか思われまい。我と我が身が周囲にいかに見られているかという事実を受け入れず、現実から目を背けていれば、それは逆に自らの尊厳のみを絶対視した他者への蔑みとはならないか。

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11月09日(土)
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