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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■プールサイドの妖精……誰が?/映画『パワーパフガールズ ムービー』ほか
広島に原爆が落ちた日である。
なんだか今更そんなこと書くのも当たり前すぎてバカバカしい気もするが、そういう感覚こそが歴史の記憶が風化してるってことの何よりの証明なんで、事実の記録として、一応書いておくに如くことはない。
現実にもう、今時の10代、20代の若者には、冗談ヌキで、57年前、日本がどこと同盟を組んでどこと戦ったか、知らないやつがゴマンといるのだ。アメリカと組んで朝鮮と戦ったってマジで言ってたやつ、知り合いにいたよ。
ここまで来れば、親は何してる、教師は何してる、というレベルの問題じゃない。いい悪いではなく、現実として既に日本人自体が、もうあの戦争のことを忘れてしまっているのだ。夏が来れば思い出したようにテレビでは戦争特番が作られる。しかし、そういう「期間限定」で戦争の記憶が呼び起こされるというのは、裏を返せば普段はそんなこと忘れちまってるってことなんだよね。
8月6日に、8月9日に、8月15日に、あの戦争は封印されているのだ。
我々の子供時代には、まだ神社の境内に箱を持った傷痍軍人が立っていた。
両親に「あれなぁに?」と聞いたけれども、二人とも黙ったまま、何も答えてはくれなかった。戦争を経験していようがいまいが、多分、そんな親が圧倒的に多かったのだろうと思う。戦争の風化は日本人の総意だったと言ってもいい。
諸外国から、戦争の加害者であったことを忘れるのか、と非難されるのは当然ではあるのだろうが、さて、ではあの戦争の記憶を日本人は未来永劫抱きつづけていたほうがよいのか、ということになると、ことはそう単純ではない。アラビアンナイトのツボの中の魔人の話ではないが、ある境遇を強いられた者の感情は十中八九、恨みに転化するものだからである。
映画好きの私であるが、亡母からこの映画だけは見るな、と厳命されている映画がある。『ひめゆりの塔』だ。理由は「アメリカが憎くなるだけだから」。別に『ひめゆり』に限らず、『黒い雨』だって『はだしのゲン』だって、マジメに見てりゃ、アメリカ憎しの感情が起こるのもおかしかない。憎まずに、ただ戦争の罪のみを糾し、世界に平和を希求するなんてキレイゴトを通すことがはたしてできるものだろうか。人間は不器用だから、戦争の罪を許すには忘れるしかしかたがない面もあると思うんだけどね。
あの戦争に関しては未だにあまりにも観念論とイデオロギーが付きまとっている。マジメに戦争を語ったりすると、右か左かと見られるならまだしも、バカか道化のように見られるのがオチだ。で、実際に今、戦争を語ってる連中って、右も左もなんだかわかんないのもこぞってバカばっかりでしょう(^_^;)。
……いや、ようやく小林よしのりの『戦争論2』読んだんだけどね、なんか感想書くのがバカバカしくなってきてねえ。と言っても、内容が間違いだらけ、ということを今更指摘したいんじゃなくて、ああいう「物語」が語られる段階で、戦争って、本当に風化してしまったんだなあ、ということを実感しちゃうのよ。
小林さんの主張を全てウソだと断定はしない。しないけど、あの本読んでるとさ、大東亜戦争自体が大いなる虚妄であったのではないか、なんてことも日本人はほとんどマトモに論議してこなかったんだなって、実感しちゃうのよ。小林さん、未だに「公」がどうのと主張してるけれど、公共道徳の「公」と、全体主義による個人の思想の弾圧をいっしょくたにしちゃいけないよな。
全てを忘れてしまえ、とまで言うつもりはない。けれど、庶民レベルではもはや、「せんそうはいやだ、ひとがおおぜいしぬから」と、その程度の認識でしか、あの戦争は理解されなくなっている。っつーか、それでもマシなほう。小松左京の『戦争はなかった』は、マジで現実化しているのだ。
あの戦争を理解するには、あまりにも戦後の「事情」が錯綜し過ぎたのだ。
いやねえ、戦後すぐの小学生の日記なんかを読んだりするんだけど、これがもう、一年前まで戦争してでしたって感じがヒシヒシと伝わってくるんで、こりゃもう、戦争を知らない世代がヘタなこと言えるもんじゃないよなあ、と思うよ、ホントに。
午前中だけ、出張。
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08月06日(火)
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