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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トンデモさんが一杯/映画『カタクリ家の幸福』ほか
しまったしまった。
昨日NHKBS2で見た映画『姿三四郎』の感想を書くの忘れてた。
と言っても黒澤明の有名なデビュー作ではなくて、岡本喜八が三浦友和主演で1977年に映画化したもの。
公開当時は見に行こうかどうか迷った末、上映時間が2時間半で、しかもヒロインが秋吉久美子ってんで止めたんだが、止めて正解だったかな。
いやね、秋吉久美子も悪い女優じゃないけど、芝居に幅がある人じゃないからね。乙美はダメだよ乙美は。可憐で健気でだけと心は強くってってクラリスみたいなキャラだからな乙美は。
70年代のよ、シラケ派女優の代表だった秋吉久美子に演じられる役じゃあないのだ。
ヅラは合わねえわ、セリフは棒読みだわ、拗ねた顔も現代っ子で明治の空気はまるで出せてねえわ、かわいくもなんともねー。
こんなブスな乙美を私は認めん!(`‐´≠)凸
あ、特撮ファンには三四郎の最後の敵、檜垣兄弟が矢吹二郎と宮内洋ってのがキモです(滝和也と風見志郎の共演!)。
特に宮内さんの「あきゃきゃきゃきゃー!」って叫ぶ既知外演技が必見(いや、ホントに基地外って設定なんです。よく放送したな、NHK)。
誰か期待してる人がいるかもしれないので(^^)、『千と千尋』金熊賞に関わる続報。
どうせこの受賞で、誉めるにしろ貶すにしろ、トチ狂ったことを言うヒョーロンカが出るだろうなあと思ってたけど、期待に答えて早速出たよ。
しかもお約束の人がねえ。
まずはオタクアミーゴス会議室で紹介されてた毎日新聞の記事を抜粋。
東浩紀氏の『千と千尋』評でありんす。
僕はもともと宮崎アニメが好きだし、「風の谷のナウシカ」以降は全作品を見ています。ただ今回の「千と千尋」には、僕は否定的なんですよ。これまで宮崎監督は繰り返し、「少女の成長物語」を描いてきました。しかし今回の「千と千尋」だけは違う。主人公の少女「千尋」は物語の中でちっとも成長しない。
異世界に迷い込んだ「千尋」は、常に指図されるがままに行動する。指示通り新しい場所に向かい、人に会い、次々に襲い来る困難をクリアしていく。このプロセスはロールプレイングゲームとそっくりです。
「千尋」自身はその過程で、迷いもしなければ、悩みもしない。主体的な決断を下すこともほとんどない。「自分は本当はどうしたいのか」と自問する場面がない。主人公の内面の葛藤(かっとう)が一切描かれていないのです。
これまでの宮崎映画では、主人公は悩みに直面し、自分の人生を主体的に選び直す人物として描かれてきました。ところが「千尋」は、迷いや悩みの契機となるはずのさまざまな困難を、幸運なハプニングやアイテムだけで解決してしまう。
(中略)
この20〜30年の間、社会は徐々に変質してきた。面倒くさい内面を必要とせず、適切に役割分担(ロールプレー)することで円滑なコミュニケーションをはかる社会へと変わってきた。誰も「自分の本当の願い」などに直面しなくても生きていける。僕はこの変化を「動物化」と呼んでいます。人間も、文化も、社会のあらゆる領域が「動物化」してきていると言っていい。
ああ、のっけからなんて恥ずかしいこと言ってるかな。
「『風の谷のナウシカ』以降は全作品を見ています」
……そんなんジマンにもなんにもならんて。
知識量なんて、常に上には上がいるんだから、「これだけ見てる」って威張るやつくらいアテにならないものはない。
っつーか、恥ずかしい行為だぞ。それは。
しかも威張るにコト欠いて『ナウシカ』以後……。それ、宮崎監督のフィルモグラフィーの1/10も見てないじゃんか。マニアは『わんわん忠臣蔵』で宮崎駿がどこの動画を担当したかまで知ってるぞ(私は知らんが)。
知識がなければ批評ができないというわけではない(もっとも東氏の無知ぶりは「これでよう『千と千尋』を評論しようなんて考えたなあ、と言いたくなるくらい低いが)。
批評の主眼となるのは知識よりも分析力、洞察力であるからだ。
けれど、その分析する力も、東氏の場合、ちょっとトンチンカン過ぎるんじゃないかという気がしてならない。
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02月23日(土)
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