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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ファンタジーの地平に/映画『ハリー・ポッターと賢者の石』/『バイリンガル版 ゲゲゲの鬼太郎』(水木しげる)
朝っぱらから寒い中を出張。
……と思ってたら、それほど寒くはなかった。外での仕事なんで、寒いとトイレが近くなって困るんである。
半ドンで仕事を終えて、出張先までしげに車で迎えに来てもらう。
携帯の電源を切ってたんで、しげが連絡がつかないやん、と文句を言うが、切ってたのはちょっと周囲の事情があってベルを鳴らされたら困る、ほんの10分程度の間だ。
間が悪かっただけなんだからそんなに怒るなよう。
でも気分はなかなかに高揚している。
今日こそは……今日こそは……、ついに、あのっ! アレを見にキャナルシティに行くのであるよ。
「道がわかんねー」と叫ぶしげに地図を示す。
「……真っ直ぐ行って、一回曲がるだけじゃん」
基本的に「地図を読む」という行為が、しげにはできないのではないか。
キャナルに着いて、映画の時間を見ると、もう少し余裕がある。
ラーメンスタジアムを覗いてみたが、一時期ほどの大混雑ではないが、それでもどの店も結構な長蛇の列。
諦めて、河岸を移して、某和食の店に入る。
しげはカツ丼、私は貝汁定食を頼む。
この貝汁の中のあさりが、どういうわけかやたらと砂を噛んでて、食うたびに口の中でじゃりじゃり、音がする。
しげはこれが嫌いで貝類は一切食べようとしないが、これも一つの味わいなんと思うんで、日頃の私はあまり気にしてない。でも、ちょっと今回のはいくら何でも多過ぎ。何しろ砂の入ってない貝が1個もなかったのだ。
も少し、砂出しに手間かけてほしいよな。ちゃんと一晩塩水に浸しといたのかなあ。
映画『ハリー・ポッターと賢者の石』。
さてさて、やっと見てきた超ヒット作であるが、誉めようと思えば誉められるし、貶そうと思えばとことん貶すこともできる、なんとも困った映画なんであった(^_^;)。
つまり、良くも悪くもファンタジーとしてはスタンダードなんだよね。『寅さん』や『水戸黄門』を今更、貶してどうする、みたいな感じかなあ。
ストーリーを紹介するのは、この日記の趣旨じゃないんで、多少はしょるけど、いじめられてる継っ子が、実は魔法使いの子だと分って、魔法学校に入ってメキメキ頭角を表す、そんでもって、因縁のある悪の魔法使いの復活を阻止するって話。
おお、すごい、数行で『ハリポタ』の全てを言い切ってしまった(^.^)。
『ハリポタ』否定派は、この余りに単純過ぎる設定にあきれかえったってところも大きいのだろう。
この、大ヒットはしているが、徹底的な批判者もいるという状況、“あの時”と実によく似てる。状況が似てるのは当たり前なんだよね、だって、その「映画」自体、この『ハリポタ』と内容がそっくりなんだから。
お気づきの方は多かろう。ネットを検索してないのでよく知らないが、同じ指摘をしている人も多いのではないか。『ハリポタ』は、その構造において、1977年の『スター・ウォーズ』と全く同じなんである。
ともかく、映画公開前の情報がやたら飛び交ってて、「すごい、おもしろい、革新的!」などと煽りに煽られ、いざフタを開けてみたら……「なにこれ?」という状況まで同じってのはなんだか悪夢的ですらある。人間って、何十年経っても全然進歩しないんだよなあ。
もちろん、『スター・ウォーズ』を否定するつもりで言ってることじゃない。あれはSFじゃなくてファンタジーだというのは、公開当時も言われてたし、ルーカス自身も近年そう主張していたことで、今更そのSF性とかを否定したってしかたがない。
この「なにこれ?」というのは、「ファンタジーとして余りにもスタンダード」いう謂にほかならない。けれど、定型には定型の価値はあるので、それを一概に否定していいものではないってことはあるんだよねえ。
ハリー・ポッターは『みにくいあひるの子』であり、『シンデレラ』である。
預けられたダーズリー家では、徹底的にこき使われ、いじめられる。
しかし、11歳になった時、「魔法学校」からの案内状が来る。彼は悪の魔法使いヴォルデモートの魔の手から唯一助かった、伝説の男の子だった。
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02月02日(土)
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