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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■探偵小説の終焉/渡辺啓助『亡霊の情熱』/『サトラレ』1巻(佐藤マコト)
 朝刊に探偵作家・渡辺啓助(わたなべけいすけ)死去の報。
 19日午前0時35分、死因は肺炎、享年101歳。
 ……誤記ではない。本当に101歳で死んだのである。
 そして、ついに、日本で最後の探偵作家が消えた。
 森下雨村、小酒井不木、江戸川乱歩、甲賀三郎、横溝正史、木々高太郎、浜尾四郎、夢野久作、小栗虫太郎、大下宇陀児、水谷準、城昌幸、海野十三、綺羅星のごとく輝いていた戦前の探偵作家のたちの最後の一人が、まさしく天寿をまっとうしてこの世を去ったのだ。
 この高齢にもかかわらず、渡辺啓助は、決して忘れられた作家ではなかった。 時折、新作の短編、エッセイすら発表していたのである。
 100歳を迎えた昨年、『ネメクモア』という短編集が編まれ、新装版『創元推理21』はその創刊号を渡辺啓助・温の兄弟作家の特集に充てた。
 探偵小説ファンはみな思っていたのだ。
 ロマンの時代はまだ終わっていない。
 明治は、大正は、昭和初期のモダニズムは消えてはいない。
 まだ、われわれには渡辺啓助がいる。
 上記の作家たちの作品群をむさぼるように読んでいた中学・高校生時代を送ってきた私にとっても、渡辺啓助の存在は、まさしく「希望」であったのだ。

 追悼の意味を込めて、前記の『創元推理21』に再録された渡辺氏の『亡霊の情熱』の筋を紹介する。

 野瀬は女学校の新任教師。
 美少女、門馬ユリの相談に乗るうちに、教師と生徒の壁を越えて、お互いに恋心を抱くようになった。
 しかし、あくまで自分の立場に固執する野瀬は、その態度をなかなか決めかねていた。門馬もまた、自分の本心を野瀬に打ち明けられずに人知れず悩む。

 そこへ、門馬に恋する年下の少年、氷室が現れた。
 門馬は、ついに野瀬に自分の気持ちを告白し、氷室の誘いを断ると言う。
 動揺する野瀬。
 「僕は貴女の組主任ですから、貴女に代わって先方の少年に断ってやりましょう」
 しかし、それが恐ろしい悲劇の発端となろうとは、そのときの二人には知る由もなかった。

 氷室に会い、その情熱と真摯さに触れて、思わず知らずライバル心にとらわれてしまう野瀬。
 勢いで自分は門馬の婚約者だと告げてしまう。
 衝撃を受ける氷室。
 絶望の色が少年の顔を覆い、彼は通りがかった列車に身を投げた。

 やがて、野瀬と門馬は結婚する。
 初めは逡巡していた野瀬であったが、門馬の言葉が野瀬の決心を固めさせた。
 「嘘を吐いて、出鱈目を云って、あの人を自殺させたんですか、先生は――」
 野瀬は門馬の肩を掴んで言う。
 「僕は教師の臆病を捨てて結婚しよう。そうしてあの少年の亡霊と潔く戦おう」

 しかし二人の結婚生活はうまくいかなかった。
 ほんの少しの野瀬の冷淡。
 それが門馬に言ってはならない言葉を吐かせた。
 「あんな犠牲――あんな酷い犠牲を払ったくせに」
 野瀬は自分たちが氷室の亡霊にとらわれていることを知った。

 ある夜、門馬は何かに憑かれたように、氷室が自殺した鉄道のそばに佇んでいた。
 必死に取りすがる野瀬。
 振り切って飛びこもうとする門馬。
 列車が寸前に近づいてきた時、ほんの一瞬、野瀬の脳は混乱した。
 そして、野瀬は門馬を掴んでいた腕を放した……。 
  
 渡辺啓助の非凡さは、このときの野瀬の心理に、後悔も恐怖も一切なかったことを淡々と描写している点にある。
 恋する者同士、情熱的に結ばれた二人、そうであっても、その愛が永遠に間断なく続くものではない。
 ほんの一瞬、それこそ一刹那で通りすぎるごくわずかな時間、二人の間に底の見えない裂け目が生まれることがある。
 意識する間もないほどの時間であるので、多くの恋人たちにとって、そのような裂け目はなかったものとして忘れ去ることが出来るものである。
 しかし、まさしく悪魔のごときタイミングで、その一瞬が現実に二人の仲を引き裂いたとしたらどうだろう。われわれはそこで後悔に打ちひしがれるであろうか。
 ……いや、かえってわれわれは気づいてしまうのではないか。

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01月22日(火)
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