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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■多分それは美しさではない/映画『ピストルオペラ』
 一日ゆっくり休んだので、体調はまあまあ。
 ……だったんだけど、仕事に行くとまたすぐ逆戻りだ。
 ともかくシフトが変わったせいで、仕事量が以前の1.5倍、午後になったころには冗談じゃなく眩暈でクラクラしてくるのよ。
 はふーはふーって、息つきながら仕事してるもんだから周囲の眼がヘンなもの見てるようでそれもキツイ。
 もちろん忙しくなってるのは私だけじゃないんで、鬱憤が溜まってる同僚もやたら多いんだけど、文句言っても聞き入れる余地がないからね、ウチの職場。
 このシフト、あともう1ヶ月ほど続くんだけど、既に何人もの同僚が倒れかけている。さあ、これでウチの職場に未来はあるのか(^_^;)。


 しげが「今夜は仕事がないよん」と言うので、予定を早めて映画を見に行くことにする。
 私の仕事が終わるのが、定時で5時15分、映画の開始時刻が6時半。
 映画館までの距離はそう遠くないので、スムーズに行けば40分ほどで着く予定であった。
 なのに着かない。
 高速が作られてもあまり渋滞の緩和に貢献してない気がするなあ。
 職場からウチの近所までで既に30分くらいかかっている。
 しげは運転しながら「間に合わんよ間に合わんよ。映画の前に食事する時間もないよ」とうるさい。
 「食事はマクドナルドでテイクアウトすればいいじゃん。映画自体に間に合わなかったら、どこかで食事して帰ったっていいし」
 予定がうまくいかなければそこで他の対応を考えるって発想に欠けてるんだよなあ。


 心配していたほど車の流れが悪くもなくなったので、なんとか6時10分ほど過ぎて博多駅に到着。マクドナルドと紀伊國屋に寄ったあと、シネ・リーブル博多駅で、映画『ピストルオペラ』を鑑賞。
 清順美学清順美学と、なんで鈴木清順の映画にだけ「美学」を付けるのかなあ、他の映画作家に美学はないのか(まあ、ないのもあるけど)、と、実はこの言い方には内心ちょっと反発している。
 だって、これ、決して誉め言葉じゃないもんね。「芸術」とか「アート」とかいう言葉同様、まともにモノが見えない、いやそもそも見ようともしていないアホンダラが、自分の理解できないモノを「なんやワケわからん」と言いたいんだけれども、でも世間的には評価されてるもんだから、貶すわけにはいかないなあ、貶したらこっちがバカだと思われるもんなあ、ということで、とりあえず持ち上げとけ、という意識で使ってる言葉に過ぎないからだ。
 もっとはっきり言っちゃえば差別語なんだよ、こんなの。
 もしも鈴木清順自身が「ボクの美学はね」なんて言い方したとしたら、こりゃ本物じゃないってことになっちゃうでしょ? だから鈴木清順の映画を評するのに「美学」なんて言葉を使ったものは一切信用しちゃいけません。
 でも、清順さんのスタッフでも、堂々と「美学」なんて言ってるバカもいるしなあ。ヤレヤレ。

 実際、鈴木清順の映画を、単に色彩だの構図だの編集だの、表面的な映像美だけで捉えようとすれば、それはある種、浅薄な、毒々しい一人よがりな映像、と切って捨てることだって可能なのである。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』の三部作の映像にしたところで、映画としての構成を無視して、一画面だけのデザインを取ってみれば、そうオリジナリティのあるものとは言えない。ちょっと前衛気取りの映像作家なら、『ツィゴイネル』の砂場の蟹の映像くらい、オレでも作れらあ、と豪語するやつはいると思われる。
 解りやすく言えば、「わけがわからない」映画を作るのは、実は誰にだってできる、ということなのだ。清順映画は、「誰でも思いつく模倣可能な映像」の集大成だったりするのである。
 だから巷には「ミニ清順」が氾濫していたりする。
 押井守の『紅い眼鏡』だって、堤幸彦の『ケイゾク』だって、鈴木清順のマネをしていないと言えるかどうか(クエンティン・タランティーノは堂々とマネしてるそうだが『レザボア・ドッグス』は見てないのでよく解らん)。

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12月14日(金)
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