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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか
仕事帰り、坂道を自転車漕いで登っていると、後ろから追い越してきたバイクのヘルメットがぽ〜んと飛んで、私にぶつかりそうになった。
いや、軽く書いちゃいるが、マジで危なかったのだ。坂道は結構急勾配で、片側は工事中で深い溝があり、しかも西日が真正面から照らしていて、視界がホワイトアウトしていたし。
でも目が悪くいつ危ない目にあってもおかしくない私が今まで殆ど事故にあったことがなく、注意深い女房の方が事故にあうというのは、やはり日頃の行いの差というものであろうか。
テレビで『伊東家の食卓』を見ていて、女房と口喧嘩になる。
私はこの番組、ああ、こういう裏ワザあったのか、今度やってみよう、とか、なんでこんな面倒臭いもんに鐘鳴らしてんだよう、とか思いながら見るのが好きなのだが、女房は大っ嫌いなのだそうだ。
「なんで? 結構役に立つじゃん」
「シロウトが妙にカッコつけて喋ってんの見るのヤなんだよ!」
確かにテレビが素人に侵食されて行く状況と言うのは見てて面白いものではないが、これは別にそれを見るための番組じゃないと思うけどな。
更に『踊るさんま御殿』見ていて口論。「妙にハラハラしてしまった時」という題を見て、
「俺たちもしょっちゅうまわりの人をハラハラさせてるよなあ」
と言うと、女房、
「なんで?」
とキョトンとしている。
「『なんで』って、よくバカやるんで、みんなの前で喧嘩になりかけたりするじゃんか」
「あんたが?」
「お前がだ!」
……自覚がないやつはこれだからなあ。
そう言えば先日、練習の帰りに、鈴邑君の新車のテールランプを見て、「これって、遠ざかるから赤く光るの?」
と聞いてた。
……車のライトが「ドップラー効果」起こすか! もちろん、このギャグはあさりよしとおのマンガ『がんまサイエンス』がもとネタだが、女房はアレを真実だと思いこんでいたのである。ウソではない。女房の天然ボケは軽く西村知美や釈由美子を凌駕しているのだ。
徳間デュアル文庫『NOVEL21 少女の空間』読む。
「少女」というキーワードが物語のオルガナイザーとして機能し始めたのは、80年代のロリコンブームを経てからだろうと思う。
いや、もちろんそれまでにだって少女を主役とした小説や映画、マンガは数限りなく作られていたわけだし、印象に残る少女キャラクターは少なくなかった。
『若草物語』は、『不思議の国のアリス』は、『秘密の花園』は、『少女パレアナ』は、と、一世を風靡した少女たちを思い浮かべるのは簡単である。
けれど、それら外国文学の少女たちと、わが現代日本の「少女」たちとは何かが微妙に違う気がする。いずれは大人になるはずなのに、なぜか少女は少女のままで永遠にあり続けるような……そんな幻想を少女たちに対して私たちは託してはいないか。
『少女の空間』とはよくもつけたタイトルだと思う。少女にとって時間はあまり意味を持たない。そこにあるということ、空間をいかに占有するかということ、そこに少女たちの価値はあるように思うからだ。
……なんかワケのわからん前振りしちゃったな。んじゃ一作ごとに感想など。
小林泰三『独裁者の掟』
うひゃあ、こりゃまた、とんでもない傑作が生まれたもんだなあ!
冗談ではない、これくらい一読して感嘆し、一文一文を吟味するように味わい、何度となく読み返しては心が打ち震えるのを感じたのは、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』短編バージョンを読んで以来のことだ。
この短編集のコンセプトは、「ハイブリッド・エンタテインメント」、つまりは異なるジャンルの「混血」を目指したものだ。過去の作品の中で例をあげればアジモフの『鋼鉄都市』みたいな「SFミステリー」がそうで、本作もその流れの上にある。
混血が差別されるのは世の常で(うわあ、危ないこと言わはる)、「SFミステリー」は、SFファンからもミステリファンからも「邪道」扱いされてきた嫌いがなきにしもあらずだった。
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03月13日(火)
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