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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■SMOKE IN MY EYES/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文)ほか
 山のほうではまた雪が降ったらしいが、平地は何ということもない。
 ただ、風はいつもより冷たい。窓を開けると寒風が一気に入りこんでくる。そうしなくてもどこかから隙間風は入りこんできて、足だけが異様に冷える。
 なのに生まれてこの方、ヒビ、アカギレになったことだけはないのだ。「面の皮が厚い」って言葉はあるが、「足の裏の皮が厚い」ってのはどんな意味になるのだ。

 某図書館で『アサヒグラフ』のバックナンバーを探す。
 去年の11月に77年の歴史に幕を閉じ、休刊しちゃったのだが、その休刊号を読んでいなかったのだ。
 目当ては團伊玖磨の『パイプのけむり』の最終回。
 1964年から延々続いてきた連載だが、ここしばらくは作者もずいぶんお年を召し、昔ほどの切れ味がないなと感じていた。……というか、回によっては文意がどうにも取れないときもあり、考えてみれば作者は1924年生まれ、もう76歳で多少ポケも始まってるんじゃないかと失礼なことを想像もしていたのだ。
 ところが最終回を見て、驚嘆、仰天、何がボケなものか、その無駄のないキリリとした文章、社会の欺瞞に対する鋭い視線、去り行くものの潔さ、どれ一つ取っても「名文」の名に恥じない。
 戦後の日本は「“民主主義”ファシズム」「“戦争反対”ファシズム」「“差別反対”ファシズム」ゆえに戦前と何の違いもない、と断じたその口跡が清々しく小気味いいだけに、結局は何一つ頭を働かせることなく「平和」「平和」と連呼するだけのバカどもが跳梁跋扈している現状が情けなくてならない。
 民主主義が独裁を生まないわけでもないし、戦争は起こっちゃったら戦うか逃げるかするしかないのだし、差別反対の名のもとに差別が行われてるのはちょっと現実を見ればすぐわかることなのに、それを口にすれば現実に弾圧してくるやつらがいるのである。
 長い連載の間に、團さんもそういうやつらとの争いに何度も巻き込まれてきた。しょっちゅぅ右寄りと揶揄される朝日新聞社の発行物の中で、『パイプのけむり』を有する『アサヒグラフ』は異色だったのだ。
 連載は今後もほかの刊行物で、という朝日新聞社からの申し出があったにもかかわらず、團さんがそれを固持したのは、「『アサヒグラフ』だからこそ」という思いがあったからだという。
 「けむりはもう流れることはない」という最後の言葉が目に染みる。

 後藤長男・辻達也『マンガ大岡政談』読む。
 何だかいきなりこんな妙なもん読んでしまったが(^_^;)。原作は『東洋文庫』から取られており、マンガ技術は置いておいて、話だけは講談に忠実なのである。
 その殆どが創作とされる大岡裁きだが、江戸・明治の庶民がこぞって「名判官」としての偶像を祭り上げたのは、圧政に苦しむ民衆が公正な裁判官の理想を求めたもの、とアッチ寄りの歴史学者は短絡的に評しちゃうが、ホントにそうだろうか?
 実はたいていの話で大岡越前が登場するのは最後のシメの部分だけで、それまでは延々事件の流れ、それも殆どが「累ヶ淵」のような因果物語が展開されているのだ。落語に取られた『三方一両損』みたいな頓知話はごく少ない。
 『越後伝吉』なんか、主人公の伝吉がもとは名主の家系で、それが落ちぶれて苦労するが、正直さが認められて次第に出世し、冤罪事件に巻き込まれたりはするものの、ついには名主の地位に返り咲く、という、完全に「鉢かづき」以来の貴種流離譚の流れの果てにある物語である。……大岡、別に必要ない話なんだよね。
 その辺の考証、南方熊楠が相当調べてるらしいがまだ読んだことない。今度探してみようかな。


 女房、今日は仕事が9時から。
 女房が玄関を出た直後、何気なく鍵を閉めたのだが、無意識でチェーンロックまで掛けてしまった。
 その音が聞こえたのだろう、女房、猛然とドアを叩く。
 慌てて鍵を開けると、そこには私を睨みつける女房の大魔神のような形相(というか、もともと私の妻は大魔神にちょっと似ている)。
 「あんた、今、ロックしたろう!?」
 「ああ、ご免、うっかり閉めちゃった」
 「『閉めちゃった』じゃないやん、なんで閉めるん!?」
 「いや、無用心だから。大丈夫だよ。帰ってきたらちゃんと開けてやるよ」

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03月05日(月)
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