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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)
 二日続けて女房の夢を見る。
 いったいどうした、私に何があったんだ。
 幸いなことに内容はもう覚えてはいないが、間違っても「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ」というものではあるまい。どちらかというと、女房から「アンタはなんで私の夢を見ないんだ〜」とネチネチ絡まれ続けたせいであるように思う。

 体調がまあまあ元に戻ったので、これなら映画に行ってもよかったかな、という気にもなるが、大事を取ったほうが無難である。
 日記を読み返していても思ったが、こうしょっちゅう体を壊していては社会人として落第の烙印を押されたって仕方ないなあ、という気もしてくる。実際そういう扱いを受けること多いしな。でも烙印押す方には立派な人がお揃いなのかというと、そうでもないことは歴史が証明している(大げさな)。
 昔、アイアコッカだったか誰かが「太ったやつは自己管理がなってない証拠だから、企業のトップにはなれない」なんてトボケたこと言ってたが、これを真に受けて(というか利用して)デブ差別やってた企業人は多かったように思う。でもアメリカ人やヨーロッパ人の社長にそんなにスリムなやつが多かったかというとそんなことはないのは見ての通りだ。食わなくっても太る体質のやつはいる、ということすらわからんバカがトップに立ってた時代があのバブル期だったわけである。
 要するに人間というものは、お偉いさんは特にそうだが、下の者を縛る口実が常に欲しいのである。つまらんイデオロギーの強制は社会を崩壊させる要因に過ぎないということが解らんのかなあ。
 私は最近はソドムとゴモラの町ですら、神の勝手なきまぐれで滅ぼされたに過ぎず、ホントはそんなに退廃的じゃなかったんじゃないかという気がしてきている。

 ネットを覗きながら、BGMに『懐かしのTV番組テーマ大全集』をかけたりしていると、何とも懐かしい気分になる。大半は昭和30年代のもので、私が記憶しているはずのないものなのだが、そう感じてしまうのは、創世記のテレビが持っていた「大らかな若さ」とでも言えばいいような雰囲気のためであるように思う。
 中学校の頃、担任の先生から「『ブーフーウー』って知ってるか?」と聞かれてハイと答えたのが私を含めて二、三人しかいなかった。年譜を見ると放映終了が昭和42年である。前年に『ウルトラマン』が放映されていたことを思えば覚えていてもおかしくないんだが。人によっては思い出せる最初の記憶が七、八歳のころ、というやつもいて、いくらなんでも人生無駄に生き過ぎてるんじゃないかと思うんだが、逆にあまりに恥晒しな毎日を送っていたのでキレイサッパリ忘れてしまっているのかもしれない。
 子どもの育児日記を付けたり、ビデオカメラで撮りまくる親をバカと呼ぶのは簡単だが、子どもが大人になったときに、「おまえは昔ねえ」と言って苛める材料としては有効である。私もそれでどれだけやられたことか。自己反省の機会を与えるためにも「記録」は必要である。

 女房のアルバムをふと覗いてみる。幼稚園か小学生のころだろうか、どの写真の女房もみな笑顔だ。こまっしゃくれていて、いかにも生意気な顔だが、それでも子どもらしい屈託のない笑顔である。
 こんな笑顔、結婚して一度も見てないな。
 気がついたら泣いていた。
 夢に女房が二日も続けて出てきたのは、やはり私自身の思いのせいかもしれない。

 押井守『犬の気持ちは、わからない』、昔、実家で犬を飼っていたときのことを思い出しながら読む。
 実際、犬や猫って、何も考えてないよなあ。『パト』や『攻殻』でハードなイメージのある押井さんだが、もちろん私生活の顔もあるのであり、犬好きゆえの横暴な頑固親父、という感じはそばにいたらヤなやつだろうが、人としては共感できる。『101匹バセット大行進』はもし作られたなら、絶対見にいくんだがなあ。絶対スポンサーつかないだろうなあ。

 昼過ぎて、鈴邑、愛上夫妻+ふなちゃん、塩浦嬢来る。
 ふなちゃん、昨日節分用に買った豆の付録の鬼の面(赤塚不二夫作画)に見入っている。はや、オタクの片鱗が芽生えたか?

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02月04日(日)
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