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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■いつか親を殺す日/ドラマ『火垂るの墓』/『光車よ、まわれ!』(天沢退二郎)
 本格ファンタジーの要素である、光と闇の対立、闇と戦うために集まった少年少女戦士たち、闇に打ち勝つための魔法のアイテム、少年たちを導く古代の伝承とその導師、そしてこの世界の成り立ちが明かされ、別れと出会いが示される感動のラスト。一見、西洋的と思われるこれらの要素を、見事に日本化し、舞台を異世界ばかりでなく、日常において展開してみせたのが、本作の特徴なのである。初刊行から32年の月日が流れているが、その価値はいささかも色あせてはいない。富士見ファンタジア文庫とか読んでファンタジーに触れた気になってる若い読者には、まずこの「原典」を読めよ、と言いたいのである。
 今回の復刊に際しては、なんと唐十郎がオビに推薦文を寄せている。対象読者である小学校高学年・中高生に「唐十郎」のネームが何の意味があるかとも思うのだが、「思春期の黙示録的行脚がここにある」というのは実に的確な批評だ。初刊当時、天沢氏は宮沢賢治研究家としては知られていたが、児童文学の書き手としては全くの新人で、その筋の専門家、評論家の視野には全くと言っていいほど入っていなかった。それが、どんどん版を重ねていくことになったのは、ひとえにその「思春期」の少年少女たちの心を本作と次に続く『オレンジ党』シリーズががっちりと捕まえたからである。

 小学五年生の川岡一郎は、ある雨の朝、クラスメートの何人かが、一瞬だけ「黒い、ぐっしょり濡れた化け物」に見えてしまって驚く。ところが一郎のその動揺を察したクラスメートたちは、次第に一郎をつけ狙うようになる。闇に引きこまれようとした一郎を救ったのは神秘的な美少女・戸ノ本龍子だった。彼女は、「闇」の正体が「水の悪魔」であることを告げ、共に立ち向かう仲間たちに一郎を引き合わせる。そして、敵を倒すためには、この町に隠されている三つの「光車」を探し出す必要があると言うのだ。古代の「地霊文字」が導くという「光車」は、いったいどこにあるのか。光車を狙う「第三の勢力」も登場し、戦いの中で、一郎たちは一人、また一人と仲間を失っていく……。

 我々が生きる上で必要不可欠な「水」が敵となる。
 鈴木光司の『仄暗い水の底から』の三十年近くも前に、既に「水」の恐怖を描いている点をまず高く評価したい。マンガでは水木しげるが『水神さまがやってきた』で、「生きている水」を発想しているが、小説で、しかも児童文学でそれを描いたのはこの『光車』が嚆矢ではなかろうか。雨の日は特に恐ろしい。外に出ればいつ何時、水に襲われるか分からない。
 蓮池に少女の死体が浮かんだ。それを食い止めることは誰にもできなかった。ひと思いに全員を殺せるのに、「水」は「光車」の仲間たちを「泳がす」。この「闇」の恐怖は、思春期の少年少女たちにとっては、いつか自分たちが出会うかもしれない「見えない敵」の寓意として心に留まる。
 唐さんが「黙示録的行脚」と呼ぶのはまさにこの部分あるだろう。善と悪との究極の戦いとしてこの「光車」を巡る戦いは認知され、少年たちの進むべき道を預言しているのである。
 一郎はこの戦いの終わりに、一人の少女を失う。しかし、もう一人の少女を手に入れる。自分を導いてくれたものを失い、新たにともに歩むべきものと出会ったのだ。それもまた『源氏物語』以来のファンタジーの伝統であり、「少年」が必ず通過しなければならないイニシエーションでもある。そして読者である少年少女たちもまた、いつか、あるいは今まさに、同じ経験をする、あるいはしていることに気がつくのだ。
 中高生の時に、この「ファンタジーの必読書」を読み損なった大きなお友達は、自分が辿ってきた「悲しい道」をもう一度思い出すつもりで本書を読まれてはいかがだろう。司修の版画、挿画も、この光と闇の世界を実に神秘的に描いていて最高である。

11月01日(火)
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