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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■いつものビョーキが出たみたいですが/舞台『blast!(ブラスト) supported by ヒュンダイ』
人は、演技をするとなると、意識していなくても「カッコよく見せよう」と振る舞ってしまいたがるものだが、脊髄から首にかけての「動き」は見た目のカッコよさよりも「身を守る」ことの方がどうしても優先されてしまう。バランスが不安定な人は妙に首を傾げたりしているし、足元が不安なら猫背になってうつむく。颯爽と歩いているように見える人も実はそれが本人にとっては一番重心を安定させる位置であったりするのだ。人によってそのクセはかなり顕著である。
人はたいてい、子供のころに親や先生から「もっと背筋を伸ばして前を向いてまっすぐ歩きなさい」などと言われて歩き方を矯正させられようとした経験を持っている。ところがこれがなかなかうまくいかない。敵から身を守るためには堂々としていた方がいいと分かっちゃいるんだけれども、つい「及び腰」になってしまうようなもので、自分の身体のクセの方が優先されてしまうのである。
だから、たとえ「他人の真似」であろうとも、心優しき人々は相手のウィークポイントを真似することを無意識的に回避してしまうのだろう。極端な例えではあるが、「身障者の真似をしなさい」と言われてためらうようなものだ。世の中には他人の形態模写が異様にうまい人とどうしてもうまく真似できない人とがいるが、これは技術的な問題ではなく、そういった心理的な問題があるからではないだろうか。他人の癖を真似ることに抵抗感を感じないのは、その意味では他人の心にズケズケと入り込むことのできるヒドい人間なのである(笑)。
私も人からたまに「演技がお上手ですね」とか「立て板に水のように喋れますね」とか言われて誉められることがあるのだが、そういうときの私はかなり人の心を慮らない悪辣かつ残酷な人間になっているのである(気持ちがですよ、気持ちが)。そういう私を見慣れている人は「私は実は人見知りで無口で人付き合いも下手なんですよ」と言うと、絶対嘘をついていると決め付けてくるのだ。いくら説明しても信じてはもらえないというのはいささか困りはするのだが、まあ「どっちが本当の自分」という区別はないというか、全ての人間の言動は演技であるので、結局はどう受け取っていただいても構わないってことになろうか。一応、悪辣になっても他人を陥れるようなマネはしないし、善人のように見えて宗教に勧誘したりもしないのでご安心を。多分、私は、他人が思っているよりはフツーの人である。
例えば、私のもう一つのブログ日記では、私のキャラはすっかり「ポエマー」(本当の英語は「poet」だよ。念のため。)になっているのだが、こちらの無責任日記に慣れている人が読めば「このウソツキ野郎」と思われるかもしれない。どっちがホントでもどっちがウソでもないので、まああまり頭を悩まさずに見ていただきたいのである。
ワークショップの話に戻すが、四日目には私たちの引っ込み思案な芝居振りに森田監督は泣いた、という話だったが、レポートを読む限りでは、初日二日目はまだそんなに心配はしていらっしゃらなかったようだ。思い返すだに、自分のカンの悪さと努力不足が身に染みることである。
09月30日(金)
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