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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■波瀾万丈……だったかもしれない一日/DVD『北九州モノレール』
 「自分さがし」と言ってしまうと今ではすっかり手垢がついて陳腐な表現になってしまったが、父をなくし、社会にもうまく適応できず、それでも「人間らしく生きることとはどういうことなのか」、懸命になって考え、旅に出た女性の、これは魂の放浪記だったのである。大林宣彦監督、原田知世主演の映画は、原作の内容にかなり改変を加えてはいたが、その根幹の部分ではそういった原作の精神を踏襲していたと思う。
 角川文庫版は、昭和44(1969)年の初版発行以来、順調に増刷を重ねて来たが、平成6(1994)年に改版され、副題にあった「地球の先っぽにある土人島での物語」が外されてしまった。本文にあった「土人」もすべて「島の人」に書きかえられてしまっている。森村さん自身は「南洋の土人サンのマンガ(※島田啓三『冒険ダン吉』のことかと思われる)で育っていた私には、この言葉が異人サンと同じイメージの、ロマンチックなよび名だった」と語っていたから、この改変は無念なことであったろう。もともと差別性なんか微塵もない言葉だし、ニューカレドニアの人たちが「土人」という言葉に反応するはずもなく、こういう無意味な自主規制は作品の質を落とすものでしかない。改版後ほどなくして、ついに『天国にいちばん近い島』ですら絶版になってしまった。
 森村さんの存在は、ある年代以上の女性たちにとっては「救い」であったと思う。めまぐるしい社会に馴染めず、コミュニケーションがヘタで、それでも夢はきっと実現するものと信じ、性善説を信じ、病気や離婚にもめげず、そしてついに新しい伴侶も得て、日本にもう一つの「天国にいちばん近い島」を見つけて、お菓子づくりや絵描きの毎日で、幸せな晩年を過ごすはずだった。そういう人は、絶対に自殺なんてしちゃいけなかった。
 そんなふうに思うのは、もちろん読者の勝手な押しつけである。病気の上での自殺であるなら、どんなにやるせなく感じようが、これはもう諦念するしかないことである。森村さんの心からは、かつてはあんなに溢れていた夢も希望も、活力もすべて失われてしまっていたのだろう。どんなに明朗に見える人間もタノトスから完全に逃れる術はない。森村さんの死に、そのことを切実に思う。

09月27日(月)
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