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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■回想の『王立宇宙軍』
 オタクたちには等しく、そういった世間の偏見と迫害に堪えてきたルサンチマンの歴史がある。しかし同時に、「その程度の“軽い”心の傷」しかオタクたちにはない、ということが、一つ前の全共闘世代、更に前の戦中派、といった人々に対しての劣等感のようなものまでオタクたちの心の中に形成させていた。庵野秀明の「ぼくたちにはアニメや特撮しかない」という発言の裏にある空虚感、喪失感は、自分たちが何か人間としてケツラクしているのではないかという強迫観念が生み出しているものである。オタクは、その劣等感ゆえに、偏見の目で見られているにも関わらず、それをきっぱりと撥ね返すことができない。『王立』には、そういったオタクたちの「空気」が蔓延していた。
 だから、そこで負けたくはなかった。
 「宇宙になんて上がれるはずがない」=「たかがオタクに何かが作れるはずがない」
 宇宙船打ち上げのたびに失敗に失敗を重ね、諦めかけた同僚たちにシロツグは叫ぶ。

> ここでやめたら俺たちゃなんだ……ただのバカじゃないか。ここまで造ったものを全部捨てちまうつもりかよ。今日の今日までやってきたことだぞ。くだらないなんて悲しいこと言うなよ、立派だよ! みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよ!
> 俺はまだやるぞ。死んでも上がってみせる!

 アニメや特撮を消費するだけではない、「創造者」としての「オタク」の姿がここにはある。
 これで泣けないオタクはオタクではない(T.T)。
 もちろん、映画として見た場合、打ち上げまでに出た犠牲者の扱いが軽い、戦争アニメとして見た場合、人間の「死」の重さがリアルに表現されていない、という欠点はある。しかしそれこそがこの映画が「戦争」を扱った「SFアニメ」ではない証拠なので、戦争やってるおエライさんたちはオタクを理解しない「オトナたち」の謂いであるし、途中でリタイアしていった人々は、よくある「オタクどうしの内輪モメ」で消えていった人々なのである。それらをオブラートに包むように「死」という記号に転換させてしまったのは、仲間うちの人間関係のドロドロをそこまでリアルに描くことが、さすがに当時のオタクたちには心の傷が深すぎて、できることではなかったからだろう。その点を突っ込めば、『王立』は「まだまだ甘い」「所詮はオタクの癒されたい系アニメ」と批判されても仕方がないところはある。
 それでも当時のファンの読者投稿などを読めば、『王立』から「オタクからオタクへの強いエール」を感じていた者がどれだけいたかが見て取れる。私もまたその中の一人だった。自分たちの好きなもの、やってることは、決してムダなのではない。決して取るにたらないことではない。後指を差されようが、決して恥じる必要はない。勇気を出して、前を向いていいのだ。……そういう「エール」である。「オタクが楽しめる娯楽としてのアニメ」なら、それまでにも数多く存在した。しかし、「オタクを応援してくれるアニメ」、そんなものは、これまでにただの一本だってなかったのだ。『王立』がまさにその「最初の一本」だったのである。ガイナックスがどうして『王立宇宙軍』というタイトルに拘り、『オネアミスの翼』というタイトルを捨て去ったか。それはまさに「宇宙軍」=「オタク」であるからにほかならない。
 ガイナックスは現在までに、良かれ悪しかれ、「オタクの代表」としてのアニメを作り続けて来た。だからある意味「オタク否定」とも取れる『エヴァ』については、「裏切られた」と感じたオタクたちから、感情的過ぎる反発、非難、罵倒もあった。しかし、今でもガイナックスは、「オタク」の看板を降ろしているわけではないと思うのである。かつて、庵野秀明は『トップをねらえ!』について、「オカエリナサイBOX」のライナーノートで、はっきり「オタクのためのアニメ」と明言した。だとすれば、新作『トップをねらえ2!』もまたそうであるに違いない。

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06月13日(日)
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