ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491684hit]
■オタクな本屋にクラシックは似合わない/『TNくんの伝記』(なだいなだ)/映画『デブラ・ウィンガーを探して』ほか
私も、なださんに倣って、ここでは、あえて「TN君」の名前を明かさないが、まだ全然見当がつかない人は、あえて調べるのはやめて、本書を読んだあとで確認してほしい。TNはイニシャルだが、本名のそれである。
TN君の印象は、一言で言ってしまえば「活動家たらんとして動けなかった学者」である。ヒドイ言い方だが、本文中にも「行動力のない、口だけの民権家」と非難されていたことが書かれている。実際に政治家として議員になって最初の国会に参加したこともあるのだが、仲間の裏切りに合い、わずか三ヶ月で辞職している。
西南戦争のさなか、TN君は西郷軍に合流し共に死なんとする若者を目の当たりにしながら止めることをしなかった。若者は、西郷に共感しながらも共に立って政府を妥当しようとしないTN君をなじったが、一切、口を開かなかった。ただ、熊本に向かった若者に付いて行っただけだった。いったい、TN君は何を考えていたのか。熊本まで同行しながら、結局は反政府のために戦わなかったのはなぜか。
けれどなださんは、そんなTN君のことをこう擁護する。
「西郷は死ぬために立ち上がった。自分の死を利用させるために。だからこそ、自分たちは生き残らねばならぬのだ。そして、西郷の死を利用しなければならない。死を利用する。それはいやなことだが、それをやらねばならないのだと。しかし、TN君には、とうとういえなかった」
「TN君は、学者として、ただ正しいと思う意見を口にし、自分の思うことをいい、信じるままに行動しただけなのだ」
知行合一の陽明学的思考で考えるなら、TN君の哲学は机上の空論でしかあるまい。しかし「実行」は本当に「思想」や「理論」よりも上回るものなのだろうか。純粋理性は実践理性に劣るものだろうか。
もしそうなら、戦時中の軍部の暴走は、全て正当化されねばならないだろう。戦争は常に肯定されなければならないだろう。
TN君は常に座して動かなかったわけではない。自らが語る場所、語るための立場を確立するための手段は常に模索し続けていた。藩閥政府が民権運動を敵視し、自由のための言論をありとあらゆる権謀術数を用いて封殺しようとしていたことを熟知していたからだ。
新聞が続々と政府によって発禁処分に合う様子を見て、社主に西園寺公望を担ぎ出して圧力を避けた。それでも西園寺が節を屈して社主を退いたあとは拠点を関西に移して新聞発行を続けた。「言論を守るための戦い」はTN君の一生を通して続いていたのである。
「力」を持たない普通の人間であっても、自分の信じる道に従って、語り続けることができる。なださんはTN君の一生を通じて、「言論人のあり方」を若い人たちに伝えようとしている、そのように思える。
TN君は聖人君子ではない。
活動資金調達のためとはいえ、汚れた事業に手を出した。売春宿を経営しようとしたこともある。なださんはそれを「TN君は呼びかける相手がどこにいるか、見失うべきではなかった」と痛烈に批判する。仲間に裏切られ続けたTN君は、少しずつ政治の、歴史の表舞台から消えていきつつあった。
TN君をもう一度「思想家」として復活させたのは、皮肉にも彼の死ゆえである。ガンに罹り、余命一年半と宣告されたとき、TN君は自らの全てを『一年有半』『続一年有半』の二冊の著作に纏めた。
TN君は、日本人が未だ合理的な理論を持たず、転変する様々な思想に振り回され続ける様子を見ていた。明治末期に至って、TN君の目に最後の敵として映ったのは、今やその姿を徐々に表しかけていた「愛国心」「軍国主義」「帝国主義」という名の幽霊であった。TN君はその敵に向かって、「無神論の哲学がないところでは、理は感情に常にうちのめされてしまう」と、最後の闘いを挑んだのだ。TN君は力尽き、一年有半どころかガン宣告の後9ヶ月で死んだ。
TN君の「無神無霊魂」の思想は多くの人々の心を打った。しかし、歴史はそんな人々の思いをも飲み込んで、幽霊の支配する時代へと突入していった。
現代、未だ様々な亡霊の呪縛に捕われている人々の姿を見るにつけても、TN君の無神論が語っていたことの意味を、再検証してみる必要はあるのではなかろうか。
[5]続きを読む
07月26日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る