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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ミスキャストの楽しみ方/『耳のこり』(ナンシー関)
 山本弘さんところであまりに話題になっていたので、ついに『アルマゲドン』を見ようと「ツタヤ」に行く。レンタルにしようと思っていたが、生憎貸し出し中。けれど、決意してここまで来たのだから、手ぶらで帰るのは癪に障ると、ビデオテープを借りるのはなんだか「負けた」気がするので(なんでや)、もうめんどくさいやと、DVDを買ってしまう。2500円と安かったからだが、そのカネすら惜しいと思えるほどに悲惨な出来であるのか。
 でもすぐに見るのは怖いので、今日はとりあえず買ったばかりのDVD『七人の侍』を途中まで見て寝る。こちらの感想は後日に。


 ナンシー関『耳のこり』(朝日新聞社・1050円)。
 『小耳にはさもう』シリーズ、2000年から2002年初頭にかけての分を収録。
 すっかり疲れてるのか、消しゴム版画は殆ど誰も似ていない。この絵の荒れも死の予兆だったのかなあ。私の昔の日記を読み返してみると、晩年のナンシーさんについて「エッセイに元気がなくなってる」旨を記した箇所があって、ちょっと胸が苦しくなってしまう。
 エッセイの方は絵ほど荒れてはいないが、やっぱり「疲れてはいるなあ」と思う文章が目立つ。
 芸能ネタに関して語るときに、自ら封印していたという「くだらない」「視聴者をバカにするな」、この言葉を、ナンシーさんはあえて「松田聖子&郷ひろみ」のデュエット曲に対して使うのである。封印していた理由は簡単で、「芸能ネタはそもそも全て下らない」「誰でも言える考えなしの批判」ということだろうが、それ以外に何も言葉が思いつかないほど、ナンシーさんは脱力していたのだろう。これはもう「毒舌」ではない、ただの「愚痴」である。
 悪口や毒舌はたとえ誰かの心を傷つけることがあるとしても、その対象に対して関わろうとする意志の表れである。「仕事だから仕方なく書いてる」感じのエッセイに惹かれることはない。そこまで落ちてはいないが、以前の溌剌とした文章を知っていると、ナンシーさんの文の疲れはやはり「凋落」と映る。
 ヤワラちゃんの「最高で金、最低でも金」というフレーズにツッコミを入れて「オリンピック名言に認定だ。はやらないかなあ。『最高で板東英二、最低でも板東英二』とか」と書いてるけど、しげには異常に受けたこのセリフ、私には「切れのないツッコミ」としか映らない。
 もうナンシーさん、突っ込んでるようでいて、一歩引いて苦笑いしてる感じなんだよね。「はやらないかなあ」というのは、「この人に突っ込むのはもう私ゃ諦めたよ、誰か代わりにやって」ってことだし。
 視点が鈍くなってるわけではない。「野村沙知代タイホ」時に、街頭でされた「野村前阪神監督についてはどう思いますか」というインタビューの答えが一様に「女房の管理もできないのに、選手の管理ができるわけがない」と答えていたのを、ちゃんと「これ、正しい言いぐさなんでしょうか。間違ってると思うけど」と指摘しているのだ。ただ、その口調の「弱々しさ」にも気付いていただけると思う。
 未だに寂しさを覚えずにナンシーさんのエッセイを読むことができない。そんな読まれ方、ナンシーさんはされたくはないだろうけれど。

12月11日(水)
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