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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか
 「なぜわたしがあなたをトマトの案内人に選んだかわかる? それはね、あなたが一番むごたらしい顔をしてたからなの」
 ……まあ、人魚だからねえ、違和感のある言葉を使わせるってのはわかるよ。でも、それりゃほんとに人魚だったらの話だ。人魚のフリした人間が人の顔を評するのに「むごたらしい」なんて言葉使ってちゃ、ギャグにしかならんわ。

 他の短編もみんな、浅田次郎の線を狙ってちょっとなりそこなったって感じが強い。大阪人に粋な小説を書くのは難しいってことなのかな。
 でもラストの『ダリアの夏』は三幕ものの舞台演劇を見ているようで面白かった。キャラクター自体が、演劇的なのである。
 アルバイトの宅配屋が立ち寄った、庭中がダリヤで埋め尽くされた屋敷。
 少年が一人、ダリアの花を一輪、金属バットで打って言う。
 「花殺しじゃないよ」
 もと女優の自堕落な母親が言う。
 「ねえ、私は今年でもう、三十八になるのよ」
 この二つの謎のセリフが終盤で交錯し、解明されていく様は見事だ。この程度の「違和感」なら、充分さりげなく、わざとらしくなく、情趣も醸し出せる。
 演劇は基本的に長い時間の流れを描くものではなく、人生の「点景」を切り取るものである。本格ミステリーではないが、ミステリー風味をまぶした点景小説として見るならこの短編集、まあまあ読めたと言っていいかな。


 マンガ、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』10巻。
 金大中大統領が「冷静な対応を」と言っても韓国国会は批判決議をするし、日韓交流を破棄する自治体も多い。逆に「教科書問題と文化交流は別」と、サッカー親善の催しを続行するところもある。「別」と割りきって考えることができなくても、交流しなけりゃお互いの誤解は解けまいに。
 ともかく『新しい歴史教科書』についても、『ゴーマニズム』についても、内容をよく読みもしないで居丈高に批判する連中が多いのが困りものなんだよなあ。よく読みゃ小林よしのりは「南京虐殺はなかった」なんて言ってないし、「慰安婦なんていなかった」なんてヒトコトも言っちゃいないがねえ。
 南京の件については、ジョン・ラーベの『南京の真実』を読んでもなお民間人の死者は少数ではないかと主張する小林さんの意見に対して、それは資料の拡大解釈だと反論できる。もちろん中国側の30万人の死者って数字だっておかしい。それこそラーベの『南京の真実』に、「金持ちがどんどん避難して出ていく」としっかり書いてある。貧乏で他の土地に行けない連中が残ってたとして、それが30万もおったんかい。
 何度も書いてるが、いい加減「話し合え」。
 話し合いを拒絶している韓国側のほうがおかしいと考えるのは自然だぞ。
 ニュースを見る限り、韓国でいきりたってるのはやっぱりジジババばかりだ。日本を叩く以外に他にアイデンティティがなくなってるんだろうなあ。でもそういうジジババとだってトラブル起こしたくないと低姿勢に出る連中が日本側に多いから、問題は何十年経っても解決しないのである。

 少なくとも「小林よしのりの言っていることは全て間違い」という見方は明らかに誤りだ。当たり前のことだが、世の中に「全て正しい」人間がいないのと同じように「全てが間違ってる」人間だっているわけがない。
 「小林よしのりの意見の一つ一つを粉砕したって仕方がない。他人を洗脳しようとするそのやり口自体を批判すべきだ」とか宮台真司はアホなこと言ってたが、岡田斗司夫の『ぼくたちの洗脳時代』でも読んだらどうだ。今の時代、モノを語ることが即「洗脳」になるのは解りきった事実だし、そう言ってる宮台の言質自体が「洗脳」のやり口の一つではないか。
 ましてや「小林よしのりの人格自体を否定せよ」なんてのは好き嫌いを通り越して、差別・迫害そのものだ。
 人格を全否定するのは結局、一つ一つの意見を吟味することを怠ったただのヒステリーである。なぜみんな小林さんに関してはこうも冷静になれなくなるのだ。

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07月16日(月)
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