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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■次回公演、始動・・・かな?/DVD『トニー滝谷』
 続けて『社長道中記』『続社長道中記』。社長シリーズでも、こんな風に正続編になっているものは多いが、でもやっぱり筋立ての区別は付かないのである(笑)。これも見たことがあるのかないのか分からない。数年後にはやっぱり見たことがあるのかないのか分からなくなっているだろう。
 『ドラえもん』、主題歌が変わるとか言ってたけど、まだ女子十二楽坊のままだった。
 続けて『クレヨンしんちゃん』を流し見。もう感想書く余裕がない(笑)。


 DVD『トニー滝谷』。
 見に行きたくて行き損ねた映画は多いが、これはもう本当に劇場に見に行きたかった。昨日の日記では「トニー滝谷って名前はトニー谷から取ったんだろう」なんて書いたが、パンフレットによれば、原作者の村上春樹がハワイで見たTシャツに本当に「TONY TAKITANI」というロゴが書いてあったそうである。

 あまり面白みのない無機質的なイラストを描く中年男のトニー滝谷が、若い女性に恋をして結婚する。ところが彼女はいい奥さんではあったが、買い物依存症で、連日のようにブランド物の衣服を買わなければ気がすまない性格だった。「少し買い物を控えないか」とトニーに言われた翌日、彼女は交通事故で死ぬ。
 寂しさを紛らわそうと、トニーは一人の女性を秘書に雇い、彼女に「制服として妻の服を着てくれないか」と頼む。しかし彼女は、妻の遺した膨大な服を前に泣き崩れてしまう。
 その後、トニーは父を失い、そして再び孤独になった。
 これは、それだけの物語である。

 この映画の魅力は、特典ディスクの方で市川準監督やトニー役のイッセー尾形さんが詳らかに語っているので、何かを付け加えるのは蛇足でしかないのだが、原作の現実の中に潜む歪んだ人間の心理が、市川監督の静謐な語りで、リアルとも非リアルとも断定しがたい奇妙な味を醸し出し、一種心理ホラーのような様相すら生み出していると思う。
 「トニー滝谷の本名は、本当にトニー滝谷と言った」。
 ナレーションがナレーションとしてのみ語られるのであれば、それはただ映像に付けられた「解説」でしかない。ところがそのナレーションはしばしば唐突に、登場人物たちの口を借りて語られる。演劇ではよく行われる手法であるが、映画でこれを行うと、それまでリアルであった映像が途端に一つの「象徴画」と化すのだ。
 「象徴」とは即ち、映画の中だけだった物語が、我々観客の心の中に投げ出される瞬間である。我々はそれが「セリフ」ではないことを知っている。本当に人間は、脈絡もなく「ナレーションを語る」ことなどはないからだ。だからそのとき、その「セリフならざるセリフ」の意味が何なのかを考えざるをえない。そして、全ての言葉の陰に、人間が宿命的に持っている「孤独」があることに気づくのである。
 人はみな、孤独から孤独に帰るだけだ。映画の中のイッセーさんは、本当に爽やかで幸せな表情と、暗く沈鬱な表情との間を揺らめき続けるが、その表情すらも一つの「象徴」として、我々の心に問い掛けを続けている。あなたは本当の孤独に耐えることができるのですか? と。
 文学と映画の、一つの美しい結合がここにはある。



 読んだ本、夏目房之介『おじさん入門』(イースト・プレス)。
 このエッセイ集を読むまで全然知らなかったのだが、夏目房之介さんは昨年、離婚されていたのだった。三十年連れ添った相方との「熟年離婚」というやつだが、どんなに平穏に見える家庭であっても、そこには当人たちにとっては他人には計り知れない悩みや苦労があるわけで、それをそんな決まりきった陳腐な惹句で括られてしまうことを思うと、何とも悲しくて仕方がない。
 離婚の理由についてはあまり詳しくは書かれていないのだが、それこそ詮索したところで仕方のないことだろう。そういうことは後世の「夏目房之介研究家」がやってくれることで、フツーの読者をそれを待つか、あるいは待たなくったっていいのである。。夏目さんは短く「僕の不実や互いのあつれき」と書くだけであるが、それで充分だろう。

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09月23日(金)
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