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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「よろしかったでしょうか」の謎/映画『ソラリス』/『ウエスト・ウイング』(エドワード・ゴーリー)
 私は今日が公開最終日なので、AMCキャナルシティ13まで一人で『ソラリス』を見に行く。

 人類が遥かな宇宙にまで進出した未来。
 心理学者のクリス・ケルヴィン(ジョージ・クルーニー)は、妻レイア(ナターシャ・マケルホーン)を亡くし、孤独な生活を送っている。
 そこに突然、彼に「惑星ソラリスの調査」を依頼する男が現れる。男はソラリスの開発会社からやってきたのだが、既にソラリス調査のための宇宙ステーションに派遣されていたチームのリーダーでクリスの友人、ジバリアン(ウルリッヒ・トゥクール)からの通信ビデオをクリスに見せる。
 「助けに来てくれ」。何の事情説明もせず、それだけを求めるジバリアンの姿を見て、クリスは調査を引きうける。
 宇宙ステーション「プロメテウス」には、二人の男女がいた。科学者のスノー(ジェレミー・ディヴィス)とゴードン(ヴィオラ・ディヴィス)。ジバリアンは自殺していた。船内にはあちこちに血痕が点々と残っていた。 
 残された二人は自室に引きこもり、この船で何が起こったのか、容易に語ろうとはしない。
 「アンタにもアレが起きたら分るさ」。嘯くスノー。
 「アレとはなんだ?」
 「“お客さん”(ヴィジター)だよ」
 どこかから、子供が走り回る足音が聞こえてくる。宇宙船の中に、なぜ子供が?
 その夜、クリスは悪夢にうなされる。その悪夢の彼方に映る人影。目を覚ましたクリスの前には、“お客さん”が微笑を浮かべて立っていた……。

 スタニスワフ・レムの傑作SF(人によってはこれを世界SF小説のベストワンに挙げる人もいる)『ソラリスの陽のもとに』をアンドレイ・タルコフスキーが映画化(『惑星ソラリス』)したのは1972年。日本公開はもちっと遅れて1977年。私はこれを劇場で見てもうぶちのめされた。
 もちろんそれまでにもテレビでは『ミステリーゾーン』や『宇宙大作戦』『謎の円盤UFO』『プリズナーbU』ほか、数多くのSFドラマを見ていたし、ウェルズ、ヴェルヌなどのSF小説の古典からそろそろブラッドベリやブラウンに移行しつつ、星さん小松さん筒井さんと言った日本のSF作家の作品も片っ端から読んでた時期なので、SF的発想に自分では「慣れていた」つもりだったのだが、それが奢り高ぶりというものであった。これで私は完全にSFに「かぶれ」てしまうことになる。原作本も私の「無人島に1冊だけ本を持っていくとしたら」の候補の1冊となった。
 私が『スターウォーズ』にハマらなかったのは、『惑星ソラリス』を見たあとでは、あんなのはガジェットをちりばめただけのもので、中身はただのお伽話、まるでSFとは思えなかった、ということもある。実際、本気で「SF」してる作品は、単に小道具だけではなく、その物語もコンセプトも含めてSFしてるものなのである。
 だから『アルマゲドン』なんて物語自体はSFでもなんでもないんだから、アレをSF映画として云々したって無意味なんだってば(-_-;)。
 そういう事情があるので、今回のスティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演によるリメイクには正直、不安を隠しきれなかった。タルコフスキー版を超えられるとは到底思えなかったからだ。
 結論から言えば、私はこれはこれで充分に満足した。
 同じ設定、同じストーリー展開でありながら、映像が安易に旧作の追従にも反発にもなっていない。確かに旧作を彷彿とさせるシーンも多々見られるが(例えば冒頭、ジョージ・クルーニーが降る雨を見続けている様子は、『惑星ソラリス』でドナータス・バニオニスが川を見つめているシーンとシチュエーションとしては同質である)、それはソダーバーグ監督自身の原作へのアプローチとして改めて映像化されたもので、不自然さがない。

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07月18日(金)
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