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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■水害という名の人災/DVD『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX/笑い男編』
なんかまた、トンデモ物件っぽいものがお台場に(^o^)。
『ONE PIECE ワンピース』に登場する海賊船「ゴーイングメリー号」が実物のクルージング船として「フジテレビ開局45周年記念イベント・お台場冒険王」の一環としてお披露目。
お台場ってのもグータロウ君ご一家に案内してもらって、こりゃまた一風変わったヘンなものが生まれたものだなあ、と感嘆したことだった。私が感じた違和感ってのは、これはいったい「街」なんだろうか、ということである。
昭和30年代生まれにはギリギリ戦前の名残的感覚が残っていて、「街」ってのはやっぱり一つの生活感のある共同体として認識されているのである。だから我々は、『オトナ帝国』の夕日町に涙するし、宮崎駿のエコ趣味にもキレイゴトを感じつつ共感を抱く部分がやっぱりあるのである。「街」は日常の具現であり、生活と地続きの場、「ハレ」と「ケ」で言えば当然「ケ」としてそこにあるものだった。
今時の若い人にはちょっとわかんない感覚だろうけどね、休日に家族でデパートに行くなんて些細なことでも、我々にとってはすごいイベントだったのですよ。昔はデパートの屋上にたいていミニ遊園地があった。観覧車が回り、小さなジェットコースターも狭苦しい面積の中、レールを畳みこむように備えつけられていた。どんなに小さくともそれはやっぱり毎日の生活では味わえない「ハレ」の場だったのである。映画を見に行くのだって、子供のころは春休み、夏休み、冬休みだけのイベントだった。
割合で行けば、「ケ」の部分が10で「ハレ」の部分が1、今から30年くらいまでは、日本中の家庭の生活感覚はみんなそんなものだったろう。
今や我々の生活の中にはこの「ハレ」の部分が随分食いこんできている。今日は街に出て買いものだ! とウキウキすることもない(多少はウキウキするんだろうが、かつての比ではない)。逆に、日常生活に「ハレ」の部分が含まれていないと、かえって落ちつかないような、「毎日が日曜日」的感覚を欲しつづけているような、底無しの欲求すら感じられる。普段の生活が退屈だと神経に異常を来たし、堪えられなくなってしまうのだ。言ってみれば「ハレ中毒」、あるいは「ハレ依存症」である。
お台場のレトロ商店街を案内してもらいながら、そこで売っている昔懐かしい物に目を引きつけられながらも、これはやはり『オトナ帝国』に出てくる「夕日町」ではないなあ、と思ったのは、そこにはやっぱり「生活感」がなかったからである。店はあっても、そこに暮らしている人々がいない。遊んでいる子供たちがいない。路地裏もなければ、ゴミ箱のフタの上で寝ている猫もいない。ああそう、やっぱり「匂い」がないのだ。けれど今の若い人たちは、自分が日々を送る部屋の中からも「匂い」を極力排除していってはいないか。
「ゴーイングメリー号」というのもまあ、ヘンテコな船である。あんなのがたとえばそのへんの博多湾あたりに浮いてたら失笑ものなんだが、お台場のような「年中ハレの場」にあるならば、いかにも似合っていよう。似合っているだけに、私には何だかすごく「遠い」ものに感じるんだが、さて、毎日が「ハレ」でなきゃ気がすまない子供たちにはすごく魅力的なんだろう。
こういうところに集まってる女の子たちに、「ねえねえ、『ワンピース』のレアものフィギュアがウチにあるんだけど、見に来ない?」とか言って誘ったらホイホイ付いて来ちゃうんだろうか。
例の監禁されてた女の子たちも、毎日を日曜日にしたがってた感覚の子たちじゃないかって気がしてならないんだけれど。
9時に起床。
しげと殆ど同時に目覚めたのだが、外を見たしげが突然「大変なことになっとるよ!」と私を促す。
マンションのベランダから下を覗くと、なるほど、大変なことになっている。
川は流れるマンションの下〜♪
なんて五木ひろしの替歌なんて歌ってる場合ではないのだ。
下の駐車場の車が、とれもみんな泥水の中に半分ほど漬かっている。うわあ、また御笠川が決壊したな。確かに夕べの雷雨は凄かったが、まさかこんなになってるとは、予想もしなかった。今年の梅雨、やっぱ半端じゃないわ。4年前の「悪夢はふたたび」と言うべきか。
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07月19日(土)
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