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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■カラオケホテルの夜/『ショック・サイエンスR』1・2巻(あすかあきお)
中に入るとロビーである。夜が遅いせいか誰もいない。誰もいないどころかフロントもいない。てゆーか、フロント自体が閉まっている。閉店中か。
しげが「そこの光ってる部屋の番号を押すんだよ」と言うので、ふと壁を見ると、どでかい電光版が設置してあって、ズラリと部屋番号が並んでいる。しかし光っている番号は一つもない。その下を見ると、電光版と同じボタンと、受話器が並んでいる。
どうやら風呂に入るには、この受話器で申しこまなければならないらしい。それにしても随分用心深いセキュリティを施している風呂屋である。
「あの、すみません。電光版に光がついてないんですが」
受話器を取って話しかけると、若い女性の落ち付いた声が聞こえてきた。
「部屋が空くまであと30分ほどお待ちいただきますが、よろしいですか?」
敬語が正確である。巷でマトモな敬語を聞く機会がほとんどなくなっていたので、なんだか嬉しくなる。ええ、いいですよ、30分でも40分でも待ちましょうとも。
ところが、受話器を置いた途端、どこから現われたのか、ロングヘアの若い女性が、「あの、今、電話なさったのはそちらですか?」と聞いて近寄って来た。ちょっと驚いたが、本当にどこから現われたのかわからなかったのである。どうやらこの風呂屋の従業員らしいが、秘密の従業員部屋でもあるのだろうか。
「はい、そうですが」
「ほかにはどなたもロビーにはいらっしゃいませんでしたか?」
「ええ、私たちだけです」
「ちょうど、部屋が空きましたので、そちらに行かれてください」
そう告げるやいなや、次の瞬間にその女性はまたいずこかへ消えていた。九の一か。電光版を見上げると、一室だけ光が点いている。
「あの、ボタンを押せばいいんですか?」
どこへともなく声をかけたら、どこからともなく「押してください」の声。なんだが阿片窟にでも入りこむような雰囲気である。阿片窟に行ったことはないのだが。
階段らしいものはロビーのどこにもない。エレベーターが3基ほど。
ちょうど右端のエレベーターのドアが開いて、中年の男性と、若い女性のカップルが降りてきた。この人たちもお風呂でさっぱりしてきたのだろうか。
入れ代わるようにエレベーターの中に入りこむ。
部屋は4階。中に入ると自動ロックで鍵が閉まる。
なるほど、完全個室の風呂屋ということか。入口の側に精算機があって、部屋を出る時にはここに料金を入れるらしい。フロントで精算とかしないのだなあ。人件費の節約のためなんだろうか。
部屋の中はシックで落ち付いた雰囲気である。
出入口のすぐ側に風呂場があったので早速覗いてみる。ゆったりしたい、がしげの希望であったが、そのわりには底が浅い風呂である。幅はあるから二人で入るのに不便はなさそうだが。
サウナ部屋まであったが、二人で泊まる部屋に、ここまで風呂の設備が付いているというのは確かにすごい。せっかく来たのだから、まずはやはり風呂の準備。水道の蛇口が丸形でなく扁平。従って出るお湯も扁平である。これだけでもなんとなくリッチな気分になるのだから庶民は単純なものだ。
お湯が溜まるまで、部屋の様子を見る。
広さは二、三十畳くらいだろうか、二人用の部屋にしては随分と広々している。
ダブルベッドに、枕元には何やら調整機っぽいモノがいろいろ。正面のガラス戸は壁一面に大きく、夜景が一望できるが、向かいは整地中で光もなく、殺風景である。
やたらでかいテレビがあったが、なんとカラオケができる。なるほど、ちょっとした温泉センターだ。しげが探し出しただけのことはあるな。
早速、『愛國戦隊大日本』(^o^)を歌っていると、しげが風呂場から顔を覗かせて、「見て見て! ここのお湯、溜まったら自動的に止まるよ!」とはしゃいでいる。ここまでスゴイと、1泊いくらぐらいするんだろうかとちょっと財布の方が心配になってきた。
湯の温度を調節して二人で入浴。……こらそこ、口笛吹くな。夫婦なんだからこれくらい普通だ。
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12月28日(土)
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