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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■永遠という名の魔女/『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』40話/『ギャラリーフェイク』26巻(細野不二彦)
 台湾出身の范さんがどうして黒人の役を? というのは当時スタッフの間でも疑問が出ていたらしいが、監督が范さんに惚れこんで人種なんか気にしなかったのか、范さんを売り出したかった事務所のゴリ押しか、単に黒人の役者が見つからなかっただけなのか。真相はともかく、まだ子供だった私はそんなの全然気にせず、ジュンを素直に「黒人」と認識してドラマを見ていた。逆に范さんが他のドラマに出演するようになったとき、「何で黒人じゃなくなったの?」とそっちのほうがビックリだった。

 訃報に関して誰も触れていないのが意外なのだが、ジュンの役は日本社会の中の混血児問題を「子供番組」レベルで展開していた、今思えばなかなかにハードな物語であった。池沢さとしのマンガ『あらし!三匹』にもミヒルという混血児キャラが登場して黒い肌をからかう人間に対する怒りを露にしていたが、米進駐軍の後遺症は60年代、70年代にはまだ深刻な問題として社会に影を落としていたのである。
 映画で混血児差別を扱った作品と言えば『キクとイサム』あたりが代表的なものだろうが、森村誠一原作の『人間の証明』あたりを最後にこの問題についてメディアが語ることは殆どなくなった。沖縄の米軍による少女暴行事件などを考えれば、この手の問題が消え去ったわけではないのだが、メディアは露骨にそういう日本社会の闇の部分を隠蔽する方向に進んでいったのだと言わざるを得ない。『ガンダム』のリュウ・ホセイが初期設定の黒人から白人(?)に変更されてしまったのも一つの例か。
 キレイゴトだけで日本には差別の問題なんて何もない、というポーズを取ったほうがいいのか、こういう問題を掘り起こした方がいいのか、単純にどちらか一方に決めつけることはできない。なにせ「キクとイサム」の主演の二人はこれが「実録」であったために映画出演後かえって迫害にあって、消息不明になってしまったのだから。
 しかし、この「隠蔽」が、米軍が行ってきた非道や、今も続く日本人の他人種に対する差別意識を、意図的に日本人の心の中から抹消させていった政治的な配慮であることも事実である。『サインはV』はまだスポーツもののオブラートに包まれている分、DVDとして復活することが可能であったが、『あらし!三匹』などは恐らくミヒルが「ブラック・ムスリム」に傾倒している描写などもまずいのだろう、未だに復刻されない。
 エンタテインメントとしてのドラマにあまり堅苦しい話題を持ちこむのは野暮ったいのだが、語り方の難しさはあるとしても(何しろ日本人の大半はものごとを極端に単純化しないと理解できない)、ジュン・サンダースが『サインはV』の中でどういう位置にあったか、それに触れた記事が少ないのはそれはそれで違和感を感じるのである。「骨肉腫に侵され、志半ばに倒れる悲劇のヒロイン」ってことしか書いてないけど、病気のことだけがクローズアップされるのはどうだかなあ。「生まれも不幸で死ぬのも不幸(本当は不幸ではない人生だったと視聴者に思わせたいにしても)だなんて、そんな理不尽なことがあっていいのか」と、我々は当時、まずそのことをあのドラマから感じながら見てはいなかったか? でなければ、病に犯される以前からジュンが憂いに満ちた表情を見せていたことを、我々はどのように受け留めていたと言うのだろうか。

 范さんの話が横ちょにいってしまったが、『サインはV』後、范さんはやはりどこかミステリアスな雰囲気を漂わせる役柄を演じることが多かったが、ジュンを越える役を演じることはついぞなかった。
 私が印象に残っているのは1978年の「横溝正史シリーズ」中の異色作『夜歩く』のヒロイン、古神八千代である。
 夢遊病患者という設定の、今だったらなかなかドラマ化しにくい役だったが、まるで坂口安吾の『不連続殺人事件』を想起させるような奇人たち(このキャストがまた他の作品には見られぬほど異色である。谷隼人・南風洋子・村井国夫・原泉・菅貫太郎・岸田森・伊藤雄之助といったクセのある面々)の中にあってヒロインを務めるにはただ楚々とした美人では無理である。范さんの個性は八千代役によくあっていた。言い返れば范さんのような逸材を日本の映画界はやはり死蔵していたと言える。



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11月10日(日)
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