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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今日はノロケじゃないと思う/『プリンセスチュチュ』10AKT.「シンデレラ」/DVD『鬼畜』ほか
 こんなアホな読み方されちゃうと、脚本の井出雅人も草葉の陰で泣いてんじゃないかと思うが、案外、著名人でもアホな読みしてる人多いんだよなあ。橋本治を私は随分買ってたんだけども、この程度の読みもできずに「子殺しの親を庇う映画を作るとはどういうことか」なんてトンチンカンな文句をつけてたんで、すっかり興醒めしたことがあった。あの〜、もしこの映画が「親と子の絆を謳った」映画だったら、タイトルに『鬼畜』ってつけてるのなぜ? 橋本さん、古典やりすぎて現代語忘れたの?
 なんだかなあ、松竹映画=人情映画って思いこみの図式ができあがっちゃってるせいなのかなあ。『寅さん』だって、「決して家庭には受け入れられない」はみだし者の物語なんだけど、みんなアレを「人情映画」だと思ってるしねえ。映画には「愛」と「人情」しかないのか。
 もう「人情」で映画を見る先入観ができてる客には、基本的な日本語理解能力もなくなってるのだ。手塚治虫や宮崎駿の映画を「実際に見たにもかかわらず」、「ヒューマニズムの映画だ」なんて言ってる連中が多いのにも呆れるが、要するにみんな映画を「観」てなんていないってことなんだよなあ。……何しに映画館に行ってるんだよ。暇つぶしか? いや、別に映画に「教養」を求めろって言ってんじゃないよ、そんなレベルの話じゃない。「勝手な思い込みでモノ言ってんじゃなくて、人の話聞けよ」ってことなんだよ。
 映画の魅力を人に伝えることも一筋縄で行くことじゃないが、要するに相手に「聞く態度」があれば多少の言葉の齟齬はなんとかなるものなんである。それができないのはやっぱり言葉を受ける側の能力の低下に原因の多くはあるんで、少しはその事実を自覚してほしいもんだ。
 なんかさあ、最近身の回りでもその手のトラブルが多すぎてねえ、やんなっちゃってるんだよ(-_-;)。


 『刑事コロンボ』のファンサイトを探していて、『安葉巻の煙』というサイトを見付ける。タイトルは團伊玖磨のエッセイ(『パイプのけむり』)のモジリかもしれないが、管理人の方、あまり意識せずに付けたのかも。
 これがまた、微に入り細に入り、以前に出版されていた海外の研究本『刑事コロンボの秘密』よりもデータ的には充実している。ブロードウェイまでピーター・フォーク主演の舞台を見に行ったりしてるくらいだから、相当のマニアだ。こんな人もいるのだから、やっぱり「ネットは広大」だね(^^)。
 で、各エピソードについて、そのウラ話なんかを見てたんだが、名作『別れのワイン』について、以下の記述が。

 「原題は英語の慣用句 any port in a storm をもじっている。この句の意味は『嵐の中の港』(嵐になったらどんな港でも救いになる)で、辞書では『窮余の策』『せめてもの頼り』と訳されている。コロンボは事件解決に年代物のポルトワインを使う。このポルト(old port)こそ、コロンボが犯人を追いつめるための『窮余の策』なのだ。

 うひゃあ、あのタイトル、そんなシャレになってたのか。全っ然気付かないで、昔の日記に「原題は芸のないタイトル」とか書いてた気がするぞ。ニュアンスとしては「溺れるものはワインをも掴む」って感じか。こういうシャレを日本語に移し変えることはまず不可能だから、『別れのワイン』というタイトルはやはり秀逸だと思うが、英語タイトルもさすがは『コロンボ』、なかなかに凝っていたのである。
 念のためと思って辞書引いてみたら、「PORT」のところに慣用句としてしっかり太字で載ってやがった。高校生レベルで知ってて当然の慣用句なわけだな。くそ、私の英語力が高校生以下だってことがバレちまったではないか。
 あっ、もしかしてこの日記読んでる読者、みんなこのことに気づいてて黙ってたんじゃないか。「ふふふ。こいつこんな簡単な英語も知らないんでやんの」とか言ってバカにしてたんじゃないのか。そうだろ、そうなんだな。

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10月18日(金)
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