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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■また騒ぎ方が違うんじゃないかって話/『青少年のための江口寿史入門』(江口寿史監修)ほか
 やっぱり『怪獣王国』は何度読んでも面白く、我々の世代にビンビンと来る。「放射能怪獣コチラは、鉛怪獣アチラに弱い!」別に敵が鉛だからって勝てるとは限らんと思うが、このヘンのいい加減さが既に怪獣ものの秀逸なパロディになってるのである。もちろん、コチラのデザインはゴジラもどきでアチラはアンギラスなのだが、これがまたアチラが勝っちゃうんだよな。やっぱりゴジラよりアンギラスファンって、結構多いんじゃないか。全く、どうして『GMK』は(以下略)。
 新作の『岡本綾』は、映画『飛ぶ夢をしばらく見ない』に取材しているが、短いページの中で、若返って行く老女を見つめる家族の温かいまなざしを切なくさりげなく描き出した佳作。婆ちゃんがトシ取ってる時も若返った時も、ずっとボケたまま、というのが秀逸だ。我々は世界の変化をただ静かに見つめて行くしかない。その孤独が、しかし孤独ゆえにそこに「繋がり」を見出す冷たくかつ優しい視線がリアルなのである。
 江口作品のギャグとシリアスの両極を見ることができる点で、これはまさに入門書だ。でも、出口はどこなんだろね(^o^)。

 江口寿史の「弱さ」というのはやはりコマ割りが70年代でストップしちゃってるからではないかと思う。と言っても、あれだけ尊敬を表明してる手塚治虫の影響は少なく、ちばてつやの『あしたのジョー』の初期あたりか。ともかく斬新さを全く狙わず、四角四面でコマ間も広く、単調なのである。作品によってはそのコマ割りを崩した方が効果が上がると思われるのに、あえてそれをしない。
 シリアスものになるとこれは特に顕著で、『くさいはなし』も『岡本綾』も、秀作ではあるのだけれど、あと数ページあれば、もっと味わいが出たろうになあ、と惜しく思う。
 でも、おそらく江口寿史は、「コマの進化」ということをあまり信じてはいないのだ。戦前の田河水泡の『のらくろ』のような舞台の書割り的なコマ割りが、宍戸左行の『スピード太郎』を経て、手塚治虫の『新宝島』に結実していく過程を、一般的にはコマの複雑化と、映画化ととらえるのだけれど、更なる進化を試みた石森章太郎をおそらく江口寿史は「流行に乗ったモノ」としか見ていないのではないか(ファンであるとは思うけど)。それは比較的コマに工夫のある『恋はガッツで』をあとがきで「今見ると古い」と自分で言っていることからもわかる。
 流行の追随はヘタな模倣にしかならない。それはわかるのだが、江口寿史の停滞はは、結局、彼の作品を古くしていっているように思う。結果が同じなら、もっと「実験」してみてもいいのではないか。……とかなんとか言ってると江口さん描かなくなるんだよなあ。ホントに、こういう人はそっとしておいてあげるしかないんだろうか。

10月09日(水)
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