ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491720hit]

■狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか
 実はウチの母親も、晩年、似たようなことを言っていた。若いころは死ぬのも怖くない、と嘯いていたものだったが、病状が進んで、死を覚悟しなければならなくなってきて、信心が芽生えたらしい。気持ちは分らないではない。母が危篤状態に陥った時、私も神様にマジで祈ったし。もっとも、結局、母は助からなかったから、キリストさんもお釈迦様もマホメットさんも、「アンタは神様なんて信じなくていいよ」と言ってくれたんだなと思って、無宗教なまま、今に至っているが。
 もちろん、盤嶽もまた強くなんかない。だから騙され続けている。人を信じないではいられないのは、とりもなおさず自分自身が弱いからだ。
 あえて騙されることに身を投じる人間がこの世に存在するのは、人がみな弱いことの証明である。その何か強いもの、自分のようなちっぽけな存在をすら包んでくれる大きなものに包まれたいという願望は、誰にだってあるのだ。そういった人のニーズに一番手っ取り早い形で答えているのが宗教なのだから、一概に否定できないってのは私にだって分るのである。
 しかし、盤嶽同様、私は自問自答せざるを得ない。
 ならばなぜ宗教は庶民に安易な夢を見させる方向にばかり転んでいくのか?
 人間の苦しみは、そう簡単に消えてなくなるものではない、信心すれば救われるというのは幻想だ。実は有名どころの宗教の教祖はキリスト教にしろ仏教にしろ、たいていそんなシビアなことを語っている。「人間、諦めが肝心」。宗教の教義は実はこんなものだったりするのだ。
 しかし、それでは宗教は広がらない。儲かりもしない。だから「継承者たち」は、たいてい民衆に甘いことばかりを言う。呪文だけ唱えてれば、お布施をあげてれば、それだけで救われる、という安易さは何なのだろう。
 そんな安易さに引っかかってしまうほど、追いつめられている人が多いのか。そんなに自分に自信のない生き方を、覚悟のない生き方をして来た人が世の中には多いのか。それはその人の強さ、弱さとは関係がないようにも思うのだがどうか。
 例えばしげはムチャクチャ弱くてバカな人間だが、それでも宗教にハマることだけはないと思う。人間、どんなに弱っちくても、神様に頼ったって損するだけじゃん、くらいの理性は働かないものなのか。

 生糸問屋の清兵衛(石橋蓮司)が、自分の娘・お糸(田中規子)と久左衛門を娶わせるために、邪魔なお蝶を始末しようと企む。盤嶽の活躍で、清兵衛の陰謀は阻止されるが、不思議なことに、お蝶を殺そうとまでした久左衛門が、またお蝶とヨリを戻し、旅に出る。
 「男と女とは何だ」と考え込む盤嶽。
 男女の中に疎いのはこういうキャラクターの定番だけれど、『人情紙風船』の山中貞雄脚本を元にしているのなら、もう少し深刻な展開になっても、というのはまあ無理な希望か。『紙風船』は山中貞雄の遺作だし、到達点をもって過去の作品を評価していいはずもない。
 サラリと流したその手際も、リライトした脚本家に帰されるべき称賛だろう。


 本を少し片付けようと、書庫に篭ったら、つい、藤原昌幸(現・富士原昌幸)の『刑事戦士Xカリバー』全4巻とか、蛭田達也の『コータローまかりとおる!』全59巻とか読み返してしまう。
 そんなことやってたら、本の整理なんかできねえって(-_-;)。
 けれど『コータロー』、やっぱりおもしれーわ。自慢じゃないが、私はテコンドーもグレイシー柔術の存在もこのマンガから学んだ。っつーか、日本でそれらの武道が人口に膾炙するようになったのは、このマンガが取り上げた以後のことだ。『コータロー』は、明らかに、日本に武道を普及させるのに一役買っているんであるが、そのワケは、しょーもないギャグを交えながらも、そのアクション描写が的確であるからにほかならない。……実はホントに「的確」かどうか、格闘技に詳しくない私には断定はできないんだけれど、少なくともそう思わせるだけの密度を持った描写をしていることは間違いないのだ。
 けど、KCコミックス版はもう絶版なのかね。ワイド版だけでも30巻越えてるから、全59巻なんてとても新しい人の購買意欲をそそらないってのは分るんだけども。


 角川書店編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店・1995円)。

[5]続きを読む

06月18日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る