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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか
ファンタジー、SF志向の本郷監督に対して、日常描写にこだわる原監督。この水と油の二人が組んで傑作を作って来れたということがまずどれだけ素晴らしいことだったか。もしやこれは、日本映画史上、黒澤明と本多猪四郎のコンビに匹敵するほどのゴールデンコンビではなかったか。
設定資料、絵コンテ、インタビューの数々に評論と、その一つ一つについて語りだしたらキリがないほどギッシリ中身の詰まったこの本だけれど、特に嬉しかったのは、縄田一男さんが『雲黒斎』、『戦国大合戦』を時代劇映画として黒澤、稲垣映画レベルと評価してくれていたことだ。
権威に阿るのは好きではないが、私のような一介のドシロウトが「しんちゃん映画はいいぞ!」と叫んでも先入観持ってるヒトは一顧だにするものではない。やっぱりお偉いさんのヒトコトの世間に与える影響は大きいのである。「クレしんなんて」とバカにしている人間の方が少数派になる日を夢見よう。
ネタバレしたくないから『戦国大合戦』の感想も全くこの日記にアップしてないけど、来年のテレビ放映のときには思いっきり書いてやろうかな。
『ドラゴンHG』vol4(富士見書房)
『ダーティペア』が落ちた代原に、なんと吾妻ひでおの『スクラップ学園』が復活。……ミャアちゃん、丸くなったなあ。つーか、「余生」を過ごしてる雰囲気だね、なんとなく。
往時の勢いがないのはあまり指摘したくないことだけれども、仕方がないことなんだろう。インタビュー記事で吾妻さんが「もう三蔵やナハハは描けない」と言ってるのも、読者としてはそうなんだろうなあと頷くしかない。
もっとも、かつての「過激な不条理」が今の「まったりした不条理」(なんなんだ)に変化したことは吾妻さんがマンガを描き続けていくためには必要条件だつたのかも知れない。
かつてのアズマニアとしては、そのまったりゆったりした味わいをゆっくり見守って行くのが正解なんだろうね。
上遠野浩平『ビートのディシプリン SIDE1[Exile]』(メディアワークス/電撃文庫・645円)。
『ブギーポップ』シリーズの番外シリーズ、という体裁なので、はっきり言って本編シリーズを読んでいないと全くキャラクターが掴めない、非常に不親切な本である(^_^;)。
だいたい本編シリーズですら「統和機構」がどういう目的で存在しているのか未だに得体が知れないところがあるのに、その末端の合成人間を主人公にして、しかも本編の登場人物たちを全く何の説明もなく次々と登場させていくのだから、なにがなんだか解らなくなるのは当然だろう。私も「これどのキャラだったっけ?」と思い出しながら読まなきゃならなかったから、読了するのに時間がかかったこと。作者は相当意地が悪いぞ。
飛鳥井仁、ペパーミントの魔術師こと軌川十助、フォルテッシモ、ダイアモンズのパール、イナズマこと高代亨、ホーリィ&ゴーストこと濱田聖子と結城玲治、リセットこと雨宮世津子……。入れ代わり立ち代わり登場する彼らと再び出会えることは嬉しいのだけれど、だったらどうして肝心要のブギーポップは登場しないのか? という疑問がどうしてもアタマをよぎる。
語り手たる飛鳥井仁によれば、「試練(ディシプリン)」たるこの戦いに「死神」の出番はない、ということだけれど、その理屈が今一つ腑に落ちない。つまり主人公は「試練」を与えられてるだけだから、「世界の敵」は現われないってこと? それじゃただの予定調和の物語にしかならないんじゃないかってちょっと心配になるなあ。
その試練を受ける主人公がビート・ビートという探索型の合成人間。まだ自分の能力を使いこなせないひ弱な存在だったりする。試練を与える方は、「最強」の合成人間フォルテッシモ。……この人物配置、なにかに似てるな、と思ったけど、『バイオレンスジャック』の逞馬竜とジャックの関係とそっくりなんだね。
フォルテッシモがビートに語りかけた「おまえがこの過酷な運命から生き延びて“カーメン”に辿りつくことを、俺は願っているよ」というセリフは、ジャックが逞馬竜とドラゴンとをあえて戦わせた時の別れのセリフと全く同趣である。
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05月22日(水)
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