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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか
 しかし、肉感的とは言っても、イヤラシクなったりセクシーになる寸前で「止まっている」。陰毛までしっかり描いているというのに、なんかまあ、そこに顔埋めて眠ってしまいたくなるような(* ̄∇ ̄*)。
 そういう印象を受けるのは、一つには鶴田さんの絵が「動いていない」からだろう。効果線が殆どない、イラストとイラストをコマで繋いだような描き方が、必然的にコマ内での絵の時間を止めている。どんなにアクションシーンを描いても、鶴田さんの描く乳はガイナックスのアニメのごとく揺れることは全くなく、ただひたすらふくよかにそこにある。
 それが結果的に「母」的なものとして現出しているのではないだろうか。
 「静か」が鶴田さんの絵のキーワードであることは誰もが言うが、同時に「母」のような「懐かしさ」、これもあるのではないか。
 鶴田さんの絵が好きな人って、マザコンが多いような気がするなあ……って、私もそうか?(^_^;)
 

 マンガ、梅川和実『ガウガウわー太』3巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。
 うお! 打ち切られもせずもう3巻。めでたいなあ。
 どうもこのマンガを誉める時、私は余り冷静ではいられない。
 多分、私が子供のころ、いろんな生き物と関わり、その死に際に立ちあってきたこともあるのだろう。兎や、鶏や、犬。
 多分、私は今まで一度たりと、動物たちにとっていい飼い主であったことはなかった。このマンガを読むたびに思うのは「あのときこうしてやればよかった」という後悔の念ばかりである。
 マンガの出来より、「動物といかに付き合うか」ってことの方が気になってしまうということは、それだけこのマンガが「成功」してるってことだろう。
 絵の技術がどうのとか、コマ割りがどうのとか、私のようなマンガオタクはすぐ冷静ぶってそういったマンガテクニックのことを言いたがるが、そんなことを忘れて中身に埋没してしまうときだってあるのだ。

 タヌキの吾作編のラスト、吾作が人を事故にあわせてきたトンネルに、何人もの人が立ち止まるようになる。そこには今、小さなタヌキたちの墓がいくつも並んでいる。
 足を止める人々は、そこでタヌキを轢いてしまった運転手であったり、ただの通りすがりのカップルであったりする。
 運転手は、カップルに背中を向け、墓に花を捧げると、一言だけ「ごめんなぁ」と言う。カップルの少女(でも妊婦らしい)はそれを見て涙を流す。
 少年が「おい、どうした?」と声をかけても、少女は「わかんない」と涙を流すだけだ。イマドキの、ごくフツーの、耳にイヤリングをして爪を長く伸ばし、おそらくは髪も染めているであろう少女。普段、少年の前でもあまり涙など見せたことがないんじゃないかって感じの少女が泣いているのだ。
 そこで何があったのか、少女は詳しく知っているわけではない。
 ただ、そこで「命」に関わる何かがあった。それだけを彼女は感じて、それで泣いたのではないか。
 このシーンには、主人公の太助や犬のわー太も全く出て来ない。
 運転手もカップルも、ここだけの登場人物だ。
 けれど、だからこそ我々は、そこに自分たちもいるように思う。彼や彼女たちに思いを致す。
 そこで泣いているのは、キミの彼女だ。

 動物と人間、に限ることはない。
 人はみな人を愛し、憎む。そして罪を犯す。
 人が人である限り、その運命から逃れられる人間はいない。
 人を憎んでいる間、人は自分が罪を犯しつつあることに気づかない。
 そしてあるとき、フッと、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気づく。
 そして人は自分を責める。
 赦されはしないと解っているから、自分を責める。
 そうして自分を傷つけ、あるときは自殺を図りもする。
 けれどやはり彼が赦されるわけではない。
 一度犯した罪が消えることはないのだ。
 その罪の犠牲になった者が、帰ってくることはないのだから。
 彼を、彼の罪を、それでもあえて、赦すとするなら。
 そこに「覚悟」がいるだろう。
 これ以上は赦す、赦せないなどという境界を設けない、どこまでも「赦し続ける」覚悟が。


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05月15日(水)
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