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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ニンニクの家/映画『がんばれ!ジャイアン!!』/『キノの旅V』(時雨沢恵一)ほか
線は細いし、別に血がだくだく流れるような描写はない。キャラクターはみな肋骨ねーんじゃねーかと言いたくなるくらいの細身だ。鬼頭さんの描く女の子に巨乳はいない。一番チチがあるのは女装したのり夫かも(^o^)。
でも、妙にリアルなんだよね。
小沢さんの操る“龍の子”に襲撃されたシイナ、思いっきりグーで顔殴られるけど、もう頬骨が陥没してんじゃないかって言いたくなるようにイタイ絵だ。
小沢さんの回想シーンも、エロというよりまず先に、見ていてイタイ。
シイナ襲撃に失敗したあと、小沢さんが壊れていく姿もやはりイタイ。
どうしてそんなにイタイ絵ばかり、イタイ物語ばかり書くのかというと、やはり「痛み」なくして人生ならんやという小泉純一郎みたいなことを作者が考えているからだろう。
シイナの母、玉依博士は述懐する。
「繁殖をしない龍の子は生命体ではない。しかし、生物を必要とし、原子を再構築して生物以外の物質を作り出せる。ではなぜ生命だけは作れないのか。
生命とはなにか? 死とは何だ?」
ようやく明確な「コトバ」として、作品の中心テーマが語られた印象だ。
「命」や「魂」、それが本作の重要なモチーフであることは間違いないが、しかしストーリーは必ずしも一般的なイメージでの「生命の賛歌」なんて方向には向かっていない。
今しがた書いた通り、このマンガはあまりに「イタイ」のだ。
既に何人もの人間が死んでいる本作だが、実は死んだ人間よりも生き残った人間たちのほうがどんどん傷ついているのである。身も心も。
生は死を意識したときに初めて相対的なものとして概念化される。
だとすれば、龍の子が「死」の象徴であることは必然ではないだろうか。
「生」は「性」であり、われわれは「性」の営みによって「生命」を生み出すのだが、それは同時にわれわれが「命」を外部に投げ出すこと、即ち我々自身が「死」に一歩近づくことに他ならない。
このアンビバレンツに作者は答えを出していこうとするのだろうか。
それはある意味、とてもツライ、徒労になりそうな心配すらあるのだけれど。
折り返しに作者のコメントが載っている。
「『差別用語』を禁じることで問題は解決できるのでしょうか。
言葉が『差別』をしているわけではありません。
そこに、その意味を付与してるのは、人間の意識なのですが」
もちろん、「言葉」に責任を転嫁することによって、自らの差別意識を糊塗しようというのが、「言葉狩り」の正体である。だから鬼頭さんの書いていることは至極マットウなことなのだが、なぜ、今、こんなことを「作者コメント」として書かなければならないのか。
作品が作品なだけに、その「表現」について、どこかから「横槍」が入ったりしてるのかもしれないなあ。
『アフタヌーン』はその作品ラインナップからしても作家に自由にものを描かせている雰囲気があるので、おそらく大丈夫だとは思うけれど、どうでもいいことで「連載打ち切り」になんてことにはならないでいてほしいものだ。
02月15日(金)
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