ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491665hit]
■寝(られ)る場所そろそろ作らんとな/『仮面ライダー激闘ファイル』(岩佐陽一)/DVD『本陣殺人事件』ほか
けれど実のところ私は「ウルトラ」世代ではあっても、ど真ん中のライダー世代ではないので(だいたい、『V3』で既に離れてったヤツが多い。一応『ストロンガー』最終回まで見てたのは、私のオタクとしての意地みたいなもんだ)、まさしくライダー世代である岩佐さんの筆致はちょっと感情過多で鼻白む印象がある。
『ウルトラマンT』について、「本来『ウルトラ』は子ども向けであるべき」なんて書いてるのは、心底ガックリ来る。もともと『ウルトラQ』が子供向けを志向した企画じゃなかったのは周知の事実なのに。
この「アニメや特撮は子どものもの」発言をする人は、未だにこれが作品評価として有効だと思いこんでいるようだが、実のところ、具体性に欠けた抽象的なモノイイに過ぎない。
だいたい、何をもって「子供向け」とするのか、岩佐さんはちゃんと考えてモノ言ってるのかね? 愛? 正義? 友情? 夢? そういうテーマは「子供」にだけ限定されるものではない。「子供向け」ってのは、たとえ語彙が少なく理解力に乏しい子供に対してであっても、難しい内容を直観させる技術を指すのだ。それを具体的に指摘した上での批評でないと、簡単に「子供向け」なんてコトバは使えない。明らかに岩佐さんはコトバの使いどころを間違えている。
……こんな批評モドキなことばっかり言ってると、いずれファンからも相手にされなくなっちゃうぞ(もっとも芝山努も宮崎駿も同種の発言を行ってるが、あれは実作者としてのポーズが必要なんで、単純比較はできない)。
岩佐さんの思い入れに対してケチつける気はないけど、でもやっぱりさ、言っちゃなんだけど、ただの顔見せ興行的な脚本で、ドラマ的に出来の悪いものも結構多いんだよ、ライダー共闘編。
DVD『本陣殺人事件』。
原作・横溝正史、音楽・大林宣彦、脚本監督・高林陽一、金田一耕助=中尾彬、1975年・ATG作品。
こう詳しく書いておかないと、『本陣』の映像化は何本もあるので区別がつかない。
しかし、この一編が数ある横溝正史映画化の中でも白眉であることは間違いない。たとえ予算の関係で時代が原作の昭和14年から現代の昭和50年に移され、金田一耕助のスタイルもお釜帽にヨレヨレの和服ではなく、ヒッピースタイルに変えられていてもである。
旧家の頭首としての威厳を保とうとする田村高廣、薄幸の美少女を可憐に演じた高沢順子、事件の鍵を握る腺病質の次男・新田章、謎の三本指の男(スチール見たときはこれが金田一かと思った)の常田富士男、忘れちゃいけないもう一人のヒロイン、当時は清純派(^^)の水原ゆう紀(命名はホントに水島慎司だ)、まさに金田一のパトロン及びパートナーに見事ハマッた加賀邦男&東野英心(当時は孝彦)。
更に、後年の脂ぎった演技とは比較にならない爽やかさを漂わせる若き日の(痩せてる)中尾金田一。
みな、低予算、寄せ集めのキャスト、マイナス要因だらけの中で、よくぞこれだけの名演を披露してくれたものだと感心するしかない。
そして音楽。
琴の音に乗せて、か細い老婆の声が歌う「因果は巡る糸車、無常の風ぞ吹き初める」とまさに横溝正史の世界観を凝縮したようなテーマソングの作詞作曲は、なんと大林宣彦!
これも断言しちゃうけれど、数ある横溝映画監督の中でその世界観を最もよく理解していたのは、市川崑でも野村芳太郎でも篠田正浩でもなく、大林宣彦だったと思う。……ほかの金田一って、どれ見ても「切なく」ならないのよ。
もちろん、監督、高林陽一の手腕を称賛しないわけにはいかない。
葬式で始まり、葬式で終わる。
その構成にも現れている通り、これは「殺人」の映画ではなく、「死」の意味自体を問う映画なのだ。
実際、これほど一つ一つの映像に「死」の色が色濃く現れた横溝映画はほかにない。
日本刀の光も、水車の水飛沫も、屏風の鮮血も、全てが「死」を暗示し、一柳家の人々が常に死にとらわれた歴史を繰り返してきたことが描出される。他の映画が単に事件現場の悲惨さを描くものとしてしか扱っていない密室殺人の現場が、まさしく彼らの「運命」の結末としての鮮血の映像美を作り出しているのだ。
[5]続きを読む
01月12日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る