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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか
冒頭のコナン・ドイルなどは、自伝や伝記の類を何冊も読んでるので、ドイルが実はホームズものを書くことを嫌ってたことも心霊研究に没頭したことも周知のことで、特に「そうだったのか!」と驚いたりすることはない。
むしろこの本に取り上げた人々のチョイスの仕方に唐沢さんらしさが現れていて、そこが面白いのだ。
北大路魯山人、宮武外骨、快楽亭ブラック、ウィルヘルム・ライヒ、岡本かの子、近衛文麿、ジョージ・アダムスキー、長谷川海太郎、白鳥由栄、エド・ウッド、力道山、岸田森。
いやもう、なんとバラエティーに富んでいることか。
『丹下左膳』の作者、林不忘こと牧逸馬こと谷譲次(ペンネームを三つ持ってたんである)を「長谷川海太郎」として紹介しているところも、唐沢さんのスタンスがよく解る。このヒトの「デタラメさ」は正しくその本体である「海太郎」自身にあるという見方だ。
私ゃ牧逸馬名義の『世界怪奇実話』シリーズ読んだおかげで、「マリー・セレスト号事件」を何十年もホントの話だと信じ込まされてたんだよなあ。この人の筆致、とても昭和初期に書かれたものとは思えないくらい、モダンでリズミカルで今も全く色褪せていないのである。それだけの筆力を持っていたからこそ三つのペンネームを使い分けるなんて離れ業もできたんだろう。
唐沢さんなら、彼に、作家・地味井平造と長谷川四郎という二人の弟がいることも知っていただろうが、限られた紙数ではとてもそこまで触れられない。もっと紙数を与えて、文庫化してほしいなあ。
圧巻はラストの岸田森。
彼の蝶好きは実相寺昭雄監督の思い出話の中にもよく出てくるが、ソルボンヌさんの漫画は、その一点に視点を絞って描かれており、わずか6ページの紙数にもかかわらず、まるで夢のような岸田さんの一生を描出することに成功している。
蝶の標本の部屋で一人、酒瓶を片手に虚空を見つめて孤独に過ごす岸田さんのカットが、都合、三度ほどコピーで登場するが、これがもう、たまらないくらいに切ない時間と空間を生み出しているのだ。私が今まで見てきた漫画の中でも、これは最も美しいコピーの使い方であると断言したい。コピーって、決して手抜きのための道具なんかじゃないんである。
アニメ『サイボーグ009』第7話「見えない敵を撃て!」。
脚本構成、演出、ともに第1話以来の傑作である。
原作のストーリーをなぞりながら、その後の009シリーズが内包していった、「神とはなにか、人間とはなにか」といった重厚なテーマもその中に織り込んでしかもちゃんとエンタテインメントとして昇華している。これほどハイレベルな脚本は、ここ十年のアニメを通してみても『エヴァ』など数本しか思いつかない。
冒頭で、008が東京を俯瞰しながら語る、神に関するモノローグは、『天使編』を予告するものだろうし、003が「雑音が多すぎて聞こえない……」と苦しげに呟くのは、肥大化しすぎた街そのものが「黒い幽霊」と化しているような不安さえ感じさせる。
それだけ「重い」テーマを孕みながら、鼻キズのヤスとノロマな少年のやりとりのシーンでは、しっかりアニメチックなギャグを飛ばしてくれていて、脚本家がドラマとしての緩急をよく心得ていることが判る。
009を育てた神父が実はブラックゴーストの一員だったという新たな設定は、『怪人島編』の伏線だろう(あの神父さんのキャラクター、『多羅尾伴内』からの流用なんだな)。009の苦しみはこれから始まるのだということをも予感させる。
いや、至れり尽せりの演出とはこのことだ。
0013が透明ロボットだったという設定は原作にはない。手塚治虫の『電光人間』あたりからインスパイアされた設定かとも思うが、石森さんのほかのマンガにもあったかもしれない。なんにせよ、0013が船に激突し転覆させるシーンなど、荘重な音楽とも相俟って怪獣映画を彷彿とさせる迫力である。
ただ残念なことは、これだけすばらしい傑作にしあがっていながら、原作では唖で知恵遅れの少年が、多少たどたどしい口調ではあっても、ごく普通の少年に置き換えられていることだ。
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11月25日(日)
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