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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
 つまり本当は、世の中にはたった一つの種類のことしかないのだ。
 解らないこと。
 だとしたら、人が何かに関心を持つことに意味があると言えるだろうか。本当は我々は何かに関心を持つフリをしているだけなのではないか。
 自ら動くコトをせず、クラリスや萌絵によって事件に巻き込まれるレクターや犀川は、そのことを自覚しているのだ。
 それでも事件に関わりを持ってしまう犀川にとって、一番興味を引かないのは犯人の「動機」である。
 人の本当の心など分らない。そんなモノに関心を持ったって仕方がない。
 人に関心を持ちたい人にとっては腹立たしいことだろうが、人の心が分らないのは事実である。そういう人種にとって、人の心を解明した気になっているミステリほど愚かしいものはあるまい。

 つまり、森ミステリは、もともとミステリを否定する主人公を主役に持ってきているのである。

 芥川龍之介の『藪の中』、坂口安吾の『顔のない犯人』、犯人も動機も解らないミステリの先駆作品はあったが、一応の結末をつけながら、「その結末自体に意味がない」と言ってのけるミステリは森作品をもって嚆矢とするであろう。

 本作の密室トリックも前作までと同様、実にチャチである。
 もちろん、それはワザとだ。ミステリそのものを否定するミステリに、リアリティのあるトリック、整合性のあるトリックなど逆に無意味だろう。現に、作者は犀川の口を借りて「密室なんてどうにでも作れる」と言わせている。
 つまり読者は、「密室がどのように構成されたか」と、従来のミステリならばメインの謎となったであろうトリックを解明しようと頭を痛める必要がないことになるのだ。
 だからこそ、セメントを利用した物理的な密室トリックは、あっという間に西之園萌絵によって、解かれてしまうのである。ワトソン役たる萌絵によって、というところが、この密室トリックがさして重要ではない、ということの暗示にもなっている。

 では、読者に提示された「謎」は本作にはないのか?
 ホームズ役(というか、人を食わないハンニバル・レクター)の犀川創平は、「なぜ無意味な密室が作られたのか?」と語るが、実に驚くべきことに、物語の5分の1ほどで、早々と本作のトリックが、ディクスン・カーが散々多用して批判された「密室のための密室」であると、彼によって説明されてしまうのだ。  
 古今東西のミステリを見ても、予め「なぜ犯人は無意味な密室のための密室を作ったのか?」なんて提示がされた謎があり得ただろうか?

 そして、それは、最終的に、4番目の殺人が、実は密室殺人ではないのに密室殺人だと錯覚させるための心理トリックだったということが説明される。そのことによって、犯人にはアリバイが成立する仕掛けになっているのだ。
 つまり高木彬光の『刺青殺人事件』の応用である。しかし、この応用の仕方には意味がない。そうやって作った4番目の密室モドキも、結局はトリックのためのトリックにすぎないからだ。

 森ミステリに拒否反応を示す人はそこで思うだろう。
 「トリックのためのトリック」を使う犯人なんてリアリティがないと。

 最後に犯人の動機が語られるが、恐らくマジメなミステリファンは更に激怒するだろう。
 最初の殺人は実は真犯人の妻の犯行だった。
 殺人犯の妻を持つことは潔癖症の犯人には許せなかった、だから殺したと。
 横溝正史『本陣殺人事件』の動機の応用である。
 もう真面目に読んでたらツッコミ入れて下さいと言わんばかりの説明である。しかも本作では、オソロシイことにそのような動機を暗示させる伏線、ヒントというものが事前に全く提示されていないのである。

 読者はまた思う。
 伏線張らずに謎と結末だけ提示するミステリなんてあり得るものかと。

 ……だからそこのミステリファンのみなさん、森作品はミステリでも推理小説でもないんですってば。
 パッケージに騙されてはいけない。この事件の犯人は、トリックのためのトリックが好きな人間で、殺人犯の妻を簡単に殺してしまう程度のメンタリティしか持たぬ人間なのである。

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06月07日(木)
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