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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか
 大学生になった頃、ガキの頃は偏見でものを見てたかもしれないなあ、真面目に読んでみようか、と思って読み始めたことがあったのだが、『巨人』も『ジョー』もやはりつまらなくて読み進められないのである。ともかくセリフが臭い。キャラクターがみな自分に酔いしれているばかりのバカ揃いでどう感情移入せよと言うのか。
 三十を過ぎてもう一度挑戦してみたら、このときは発見があった。『ジョー』の中で琴線に触れるシーンが結構あったのである。
 特に、ジョーが初めて紀子と二人きりで語り合い、「拳闘が好きなんだよ、真っ白な灰になって燃え尽きる……」というジョーのセリフと、「矢吹君にはついていけない」という紀子のセリフ。二人の男女のすれ違いの描写が見事であった。
 ところが、そういった私が「いいな」と思ったシーン、それらはことごとく梶原の原作にないものだったのだ。
 『タイガーマスク』の怪人たちの原案や、『聖書』についてのルリ子さんの話、『あしたのジョー』のドヤ街の子供たちとの交流、これらはみな作画を担当した辻なをきやちばてつやのオリジナルだったのである。
 あの『ジョー』の感動の最終回も、梶原の原作無視の結果だったのだ。というより、原作がどんどん手抜きになっていくので、オリジナルにせざるをえなかったと言った方が正しい。
 ちばがキャラクターを掴めなくて梶原に質問する。
 「葉子はジョーが好きなんですか?」
 適当に答える梶原。
 「そのうちわかるよ」
 しかし梶原は全く葉子の心情を描かない。仕方なくちばは最後に葉子に告白させる。
 「好きなの、矢吹くん! 私のために行かないで!」
 ……しかし、ジョーは葉子の制止を無視してホセとの試合に赴く。試合が終わり、グラブを葉子に渡す。
 「あんたにもらって欲しいんだ」
 そしてジョーは白い灰に……。
 ここには梶原の原作は全く使われていない。原作は丹下段平が戦い終わったジョーに「お前は試合にゃ負けたがケンカには勝ったんだ」と声をかけて終わるものである。……どこが面白い、こんなもん。
 この評伝は懸命に後年スキャンダルにまみれた梶原一騎の魅力を浮かびあがらせようと「子供の魂を持った人だった」と強調しているが、さて、「子供」ってことが下らんマンガ原作を書き、暴力や脅迫で良心的なマンガ家たちをつぶそうとしたことの免罪符になるのだろうか。
 いみじくも選挙に出ようとした梶原に、その母が「あんたはファシストなんだから、政治家になるもんじゃない」とたしなめたというのは、さすが息子の本質は見抜いている、といったところか。
 梶原マンガが面白かった、というのは幻想ではないのか。「飛雄馬の目がホントに燃えてやがる」と笑って楽しむならともかく、本気でアレに「猛烈に感動する」連中って、いささかヤバイと思うのである。

 4月からの卓上カレンダー、『ひめくりあずまんが』、女房が本屋で見つけてもの欲しそうにしてたので買ったのだが、単行本からの再録のイラストぱかりであったので拍子抜け。セリフをちょっ変えてはいるがそれもそんなに面白くない。
 ……しかしウチには「机」も「テーブル」もないというのに、女房はどこに置こうというのだろうか。

 晩飯は近所のカレー屋「ココイチ」で季節メニューの「あさりカレー」を食べる。辛さや量を選べるのはいいのだが、単価が高いのがこの店のイマイチなところである。
 「ココイチじゃなくてイマイチだな」というシャレを思いついたが、女房に言ったってジト目で見られるだけだから言わない。
 女房はそのまま仕事に行くので、今日は映画はナシである。物足りないので馴染みの本屋を廻り、電気屋で安売りのS‐VHSビデオテープを30本買いこんで帰宅する。この30本がひと月できれいサッパリ消えてなくるから不思議なのだよなあ。

 昨日あたりから、マンションのエレベーターに防犯カメラがついている。
 警備員室から中が見えるようになってるのだが、その警備員室に誰もいないんじゃ意味がないのではないか。
 それにそんなものがついていたら、エレベーターに乗った時に、
 「だめよ、こんなところで……」
 「体はそう言ってないぜ……」

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03月22日(木)
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