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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■小倉ワークショップ余燼/第1回演劇研究会『笑の大学』
 観客も「いつまで続くんだこれ」とタメイキをついたと思うが、ようやくLisa嬢が切ってくれてホッとした。シロウトを舞台にあげることの是非は観客の判断に委ねられているが、その判断の境界がこのスケッチにあったように思う。
 「完成度」という観点に立てばもちろんこのスケッチは失敗だろう。しかしそもそも演劇に「完成」などというものはありえるのか、という疑問もまた湧く。
 サノ氏のフンドシ話には誰しもウンザリしたと思う。しかしそのウンザリは石を投げたくなるようなウンザリだったろうか。同じくウンザリしているLisa嬢と観客は見事に同調してはいなかったか。そしてLisa嬢のカウンターパンチを期待してはいなかったか。
 それが観客による演劇の「補完」ということなのではないかと思う。
 もっとも、私は練習日に見たタイトルどおりの「次長の詩集」のネタの方が好きではあった。Lisa嬢の震える声の「お母さん」の詩の朗読は(やはりこれもアドリブ)、温かいような寒いような微妙な雰囲気を漂わせていたし、そのロマンチックなんだかぶっきらぼうなんだかよく分からない詩を書いたのが仏頂面の草莽の志士詩であるのだから、これは笑えた。
 いきなりの変更は、本番前日の森田さんのダメ出しで「詩集は面白くないなあ」と言われた結果だ。急遽サノ氏のアドリブで「次長のフンドシ」になってしまったのだから、森田さんの「止めろよ」も、シロウトにいきなりのレベルアップを要求しといてそれかよ、である(苦笑)。


「自衛隊タクシー」
> 泣く娘をとつとつと慰めるお父さん。得意の四文字熟語を引用するのですが、そのうち、熟語を披露することにうっかり夢中になりかけます。タクシー運転手として、もらいすぎたお金を届けに行ったエピソードを話しだすお父さん。どう関係があるのかわからないけど、娘はありがとう、ありがとうと感謝します。なおも泣き続ける娘に、お父さん「空が泣いたら雨が降る、山がなくときゃ水が出る♪」と歌いだします。

 これも好きなスケッチの一つ(と言って嫌いなスケッチはないのだが)。
 ともかくKさんのキャラクターは強烈だ。森田さんの「余計なことをしなければ名優に見える」という指摘もよく分かる。シロウトとプロの最大の違いは演技を抑制できるかどうか、間が取れるかどうかなのだろうが、Kさんの場合は抑制しているのか間が取れているのか、そんなことを超越してあるがままでそこにいる。
 ここまでくれば、別に名優に見えなくてもKさんはKさんでいてよいと思える。
 娘が泣いているのも、果たして本当に心配しているのかどうか分からない。どうもこのムスメ、何かいかがわしいことに関わったか、関わったと誤解されているかのどちらかなのだが、お父さんは娘を慰めるつもりで自分語りしているうちに、当初の目的を忘れてしまっているようなのだ。
 娘は「ありがとう」と口にするが、何がありがとうなんだかよく分からない。
 このあたりから、「現実の中の不条理劇」という様相がこの発表会に漂い出す。


「おじいちゃんうるさい!!」
> なんとか孫の会話に割って入ろうとして、全部阻止されるじいちゃん。でもじいちゃんはめげません。じいちゃんうるさい、と言い続ける孫娘。じいちゃんいることで、このわがままそうな姉妹がとても仲良しにやってるのです。まったく会話にならないのに、じいちゃんはしきりに姉妹にはなしかけます。3人ともにうれしそうに見えてくるから不思議です。

 おじいちゃんのYさん、この方のマイペースは、地も舞台も変わりない。
 会場大爆笑のスケッチだったが、実は私はじり子さんが「じいちゃんうるさい」と口にするたびに舞台の袖で涙ぐんでいた。
 その口の効きように腹を立てていたからではない。「3人ともにうれしそうに見えてくる」、まさにその通りで、爺ちゃんがいて、孫がいて、その孫がじいちゃんに「うるさい」と平気で言える家庭。それが羨ましかったからである。
 「家族」の姿が見失われている現代、このワークショップに私たちが森田雄三&イッセー尾形に罵倒されながらも集まってくるのは、失われた家族の絆を追い求めているからなのかという気がしてくる。


「だんなの悪口」

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12月06日(水)
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