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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■肉体年齢はどうしようもないげど/アニメ『蟲師』第一話「緑の座」
ハッキリ言っちゃえば、どんなに作画監督の腕が一流であっても、それがセルアニメやCGである以上は、到底表現し得るものではない。「蟲」の生物感、浮遊感を表現するには、アニメは「きれい過ぎる」のである。
なんつーかね、空中に浮遊してる蟲だけどさ、あいつらなんであんなに「遠くにあるものも近くにあるものも全てきれいにピントが合っていて、完全に調整された速度とベクトルを持って動いている」んだよ。機械かお前らは。つまり生命感が全く感じられないのである。空飛んでるブヨだって、もっとフラフラと頼りなげに飛んでいるんだが、「CG蟲」にはそれがない。ただキレイなだけである。「生命感」というか、「暖かさ」がなければ、人間はそういうものに簡単に感情移入できるものではない。だからしんらの、「蟲が見えることが嬉しかった」という述懐に説得力が生じていないのである。
もっと悲しかったのが、まるで映画『蛍川』のような、CGでございって感じの「蟲の川」だ。そりゃ点々の一個一個を手描きしてたらアニメーターが死ぬのは分かってるんだけど、あんなに規則的に動く蟲の群れなんて、あってたまるか。私にはあんなのは蟲じゃないとしか思えないのだが、あのアニメを絶賛してる連中、モノ見る目が麻痺してるんとちゃうかいな。
も一つ、声優さんの演技についてなんだけれど、これもイマドキの癖のあるアニメ声じゃなくて、できるだけ自然な、かなり押さえ目の演技はしちゃいるんだけど、やはり昔の空気というか、その時代らしさと言うか、そんなものを感じさせるほどには至っていないんだよね。「廉子」を「レンズ」って発音していいのか? それともこの名前は蟲を見る「虫眼鏡」って意味か? 細かいアクセントにまで気が配られてないんだよね。
いろいろゴタクを並べはしたが、これは要求としては殆ど「ないものねだり」に近い、ということを付け加えておかねばならない。
だってテレビアニメ製作の予算と時間で、CG使わないで「蟲」を表現できるわきゃないし、演技に関しては私の要求するレベルに達してる声優なんて日本にゃいない。ベテランの声優にだってみんな悪いクセが付いているのである。現在のテレビアニメとしては最高水準にあると思われる作品に対して、私は難癖を付けているのだ。
もちろんそれは「もっと向上のしようがあるんじゃないのか、日本のテレビアニメはこれが限界なのかよ」という不満には違いないのだが、フツーにアニメを楽しむ分には特に遜色のある作品ではない。自分自身、難儀な性格をしているなあと思うのだが、気になった点について、「それはそれでいいんじゃない?」とナアナアな物言いができないのだ。
今までに何度も日記に書いたことがあるが、小説と映画、マンガとアニメは、表現するもののベクトルが全く違う。マンガによって喚起されたイメージと、アニメのそれがズレていたって、それは当然なのである。
なのに、私があえて「原作のイメージに届いていない」と主張しているのは、「原作を見事に映像化している」と言って絶賛している巷のファンが、まるでアタマを働かせていないことに慨嘆しているからだ。彼ら彼女らは、メディアの違いについて何一つ基礎教養を持っていない。静止している「絵」が観客に喚起するイメージはまず「動き」である。それと逆にアニメには既に「動き」があり、それが喚起するものは「そのように動くものの意志」である。当然、そこにズレが生じないはずはないのだが、例えばギンコの演技に、テレビの視聴者たちは少しもそういった「ズレ」を感じなかったのだろうか? 私には、彼ら彼女らが、「絵がよく動いている」事実のみに目をくらまされているだけで、その動かし方が本当にそのキャラクターの、引いては作品の「精神」を表現するのにふさわしいものであったかどうかという点にまで立ち至って考えてはいないようにしか思えないのである。
しかしこんな文句ばかり書き連ねていると、「はてな日記」の方がオモテ日記で、こちらは完全に「ウラ日記」って感じになってくるな(笑)。でもこれは「タテマエとホンネ」という仕分けではなくて、視点を換えて見たものにすぎず、全く正反対に見えてもどちらも私自身の意見であることに違いはないことは明記しておきたいと思う。
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10月27日(木)
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