ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491657hit]

■次回公演、始動・・・かな?/DVD『トニー滝谷』
 それまで、私たちは森田さんから「会話をするな」と厳命されていた。「会話をすれば途端に芝居が安っぽくなる」と。「日常、親子が、夫婦が相手の言葉をちゃんと聞いてるかい?」そう仰って、「受け答えをするな、関係ないことを喋れ」と言われ続けていたのである。おかげで、「問題のあるカップル」は、女が「お金返して」と言い続けるのに対して、男の方は「今日さ、婆ちゃんちに行ったんだけどさ」と無関係な話を延々とし続けることになっていたのである。ここで「火曜日には返すから」なんて言っちゃ、そこには「何もなくなる」と森田さんは仰るのだ。「関係ない話をし続けるから、お客さんは二人の間に『何か』を感じるんだよ、想像するんだよ」と仰っていたのである。 新宮の二人の会話は、まさに「何にもない」会話だった。小倉で指示していたのとは違って、新宮では「会話」を許可していたのだろうか?
 森田さんは、恐らくはワークショップを開いた街ごとに演出を変えている。新宮では「会話を行っても演劇が成り立つ」と判断したのかもしれない。となれば、小倉では「会話を成立させられない」と考えたということなのだろうか。小倉近辺の人間は常に心に隠し事やわだかまりを持ち、他人の言葉を聞かず、自己主張ばかりをし、その癖自分の気持ちを察してほしいと甘えているヤツラばかりだと考えたということなのだろうか。
 仮にそうだとしても、出来上がった芝居は、小倉の方が断然面白かったと私は思う。飛び入りの新宮のお二人さんは、「小倉の芝居には合わないから」ということで、結局出演はできなかった。やり取りの間はよかったけれども、会話がどう発展して行くのか、「その先を見たい」という気にはさせられなかった。小倉では、芝居の上手な人であっても会話は禁止されていた。許されていたのは「相手に切り込む」ことだけである。シロウトの芝居が少しでも見るに耐えるものになっていたとすれば、森田さんが新宮と小倉とでは演出を変えたことに理由があるように思う。

 そんなことを考えていたら、過去のワークショップ関係の日記も説明不足で言葉足らずな部分が多いように感じられて、いろいろ付け足すことになった。
 アップした直後に読まれた方は、何行かずつではあるけれども、加筆した部分がありますのでオヒマがあればご参照ください

 しげがマトモな食事を作らないので、だんだん気分が落ち込んでくる。スーパーで「エビマヨネーズの素」があったので、「これを買おうか?」と聞いたら、しげは「作ってくれると?」と目をきらきら輝かせて即答した。
 私は別段、「家事は女がするもの」なんて考えちゃいないが、何か美味しい料理を食べようかと考えた時に、「私に作ってもらえるもの」と思い込むしげのその根性が嫌いだ。こいつには相手に「美味しいものを食べさせてあげたい」という心遣いが根っから欠けているのである。
 私もせっかくの食材をインリン・オブ・ジョイトイのように無駄にしてほしくはないから、結局は「ああいいよ」とこたえることになるのだが、こういうことを引き受けていくと、うちの家事は全て私がしなければならなくなるのである。冗談じゃなくて、体調崩して仕事休むこともあるんだから、料理と洗濯と食事は必ず毎日してくれ。もう何十回その約束をしたか分からないが、約束した直後から、その約束は反古にされ続けているのである。
 だから、身が持たないんだってば。

 一日ゆっくり過ごして、映画を見たり本を読んだり。と言っても外出する余裕はないので映画はもっぱらケーブルテレビ。感想は全部書いてる余裕がないので簡単に。
 CS日本映画専門チャンネルで映画『帝銀事件 死刑囚』。
平沢貞通役の信欣三は好きな役者さんで、どの映画でもあまりに自然な演技をされるものだから『砂の器』で言語学者を演じていた時には本職の人を連れてきたんじゃないかと思ったくらいである。この映画でも、裁判で「警察に自白を強要された」と証言するあたりが、淡々と悲壮感が感じられない喋り方をするものだから、かえって「裁判的」でリアルなんである。

[5]続きを読む

09月23日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る