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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■古希の憂鬱/『昭和の東京 平成の東京』(小林信彦)
 いや、ネタが薄いことを今更あげつらったところで仕方がない。スタジオで「へぇへぇ」と暢気にボタン押してる連中が『ハイジ』のアニメをまともに見たことがなければ、原作を読んだこともないやつらだということについても怒りはすまい。「常識」とか「素養」なんて言葉はとうにこの国では無意味に成り果ててしまっているからだ。
 けれどそれでもどうにも情けないのは、「どうせ視聴者は馬鹿なんだからこの程度のネタと演出で充分」という番組作りを、たいていの視聴者が無批判に享受している現実である。知識とか素養ってのは、そのバックボーンに複雑に絡み合った膨大な大系があるもので、それを我々は普段は自覚してはいないけれども、日常のちょっとした場面で、ひょんなことからその繋がり合っているものがひょいと顔を出してくることがある。知識を売りものにするのなら、そういう部分にこそ着目しなきゃならないのだが、それが『トリビア』にはないのである。
 既に巷では「へぇ」を口にすること自体、恥ずかしい行為に成り果ててしまっているんだけど、まだ続くんかね、これ。


 今日読んだ本、小林信彦『昭和の東京 平成の東京』(ちくま文庫)。
 1964年から2002年までの「東京」をキーワードにしたエッセイを集めた本の文庫化。
 「東京」に思い入れがない(大学時代の四年間しか住んだことがない)地方人がこういう土着エッセイを読んで面白いかというと、これが実に面白いのである。
一つには、私が博多の「職人」の家に育ったということがあると思う。小林さんが活写する「東京の職人」像、「土着の人間は実にていねいな口調」というのは、「博多の職人」にもそのまま当てはまるのである。物腰の柔らかさが、東西を問わずの「職人」の共通項なのだろうかと思ってしまった。
 「博多弁」と聞くと、江戸っ子の「べらんめえ」以上に乱暴で、始終喧嘩を売っているように聞こえる、というのが世間のイメージであるようだが、私の記憶する限り、祖父や祖母の使う博多弁は実にきれいなものであった。孫が遊びに来ても「よう来んしゃったね」と、必ず敬語を使う。子供に対しても敬語を使うことを忘れないのが博多の「職人」の文化だったのである。「よく」「長く」「若く」などの形容詞の連用形が古文よろしく拗音に変化して「よう」「なごう」「わこう」と柔らかくなるから、耳にも聞こえよい。差別的な物言いになるので控えるが、現実に「汚い博多弁」を使っているのは、一部地域の博多人なのである。
 「下町人情」についても、東京と博多とでは共通点が多い。「人情」などと言うと、どうしたって我々は映画のイメージが優先してしまうから、東京の場合、それは中村錦之助の「一心太助」とか、渥美清の「寅さん」が脳裏に浮かんでしまう。けれど、もちろんそれが虚像に過ぎないことを、小林さんは自分の「実体験」から照射していく。「下町の人というのは、自分の感情をかくすものです」と書かれているが、「ああ、爺ちゃんも婆ちゃんもそんな感じだったよなあ」と納得してしまうのである。
 小林さんの経験は小林さんの個人的な経験でしかなく、これをもって「下町」のイメージを規定してしまうのはどうか、という意見もあるとは思う。私の「博多っ子」のイメージだって、煎じ詰めれば「ウチの近所はそうだった」ということであって、普通のサラリーマンの家庭の博多っ子が私と同様の感覚を持っているとは考えにくい。けれど、「下町」が一般的なイメージとしても「職人と商人の町」であり、博多もまたかつては「そうであった」ことを考えると、その視点から街を見てきた小林さんの視点に一定の根拠があることは決して否定できることではないと思うのだ。

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09月21日(水)
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