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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■切れる信者/『コメットさん』第一話「星から来たお手伝い」
前回のテレビ版第30話についても、もう一言付け加えておこうと思うが、脚本の落差の激しさに過剰反応するのは、結果として役者さんたちの演技や監督の演出などを貶めることになるってことに半可通なオタクや腐女子はいい加減で気づいた方がいいと思う。
こんな芝居の基本を今更語るのはこっ恥ずかしいのだが、脚本はあくまで「土台」なのであって、それを「映画」に昇華させているのは役者の演技であり監督の演出であり、その他もろもろのスタッフの努力、音楽に編集である。私は、あれだけ雑な脚本が、結果としてちゃんと「響鬼」になっていたことに驚いたのだ。
たとえば、これまで殆ど行われなかった「楽屋落ち」、あの頭を抱えたくなった「昨日から映画が」のセリフであるが、あれがちゃんと「ヒビキのセリフとして聞こえている」ことに気付いたファンがどれだけいるのだろう。書かれたセリフはふざけているが、発声されたセリフはふざけていないのだ。あれが「演技力」というものである。
ヒビキはヒビキだったし、明日夢君は明日夢君だった。土台がぐらついていたにもかかわらず、『響鬼』が『響鬼』であって、決して「モドキではなかった」ことは賞賛されていいくらいである。つか、「ヒビキファン」を名乗るんなら、もっと役者さん、監督さんたちを信頼しろってば。これはいくらなんでもおかしい、と思ったら、現場で脚本変えるくらいのことは、あの人たちならするぜ。つか、断言するが、まず確実に30話は役者さんたちによってセリフが「『響鬼』らしく」変えられている。初登場の桐矢は井上敏樹っぽいのだが、ほかのキャラはそれまで自分たちが培ってきたキャラに合わせて、セリフを仕立て直していると思しい。細川さんを始め、『響鬼』の役者さんたち、みんなそういう人たちだってことに、これまで付き合ってきて気付かないかなあ? その努力があったからこそ、30話は、まだ充分「響鬼」の世界観の範疇にある話になってるんである(勘違いするやつがいると困るから念のため付け加えておくが、私ゃ別に脚本がダメでも構わないなんて言いたいわけじゃないからね)。
だからさあ、オタクがよう、思い込みばかりが先行して、個々の作品に適した批評ができなくなるとさあ、せっかく市民権を得かけたってえのに、また「ただのバカないしは変態」というレッテルが貼られることになるんで、迷惑なんだよ。
昨日、書き忘れてたけど、秋山奈々の父親役で、小倉一郎がカメオ出演していたんだけれど、これが字幕にもパンフレットにも全く名前が出てこない。映画でこういう「サプライズ出演」ってやつが行われるのって、決して珍しくはないんだが、字幕に名前も乗せないってのは、理由がよく分からないのである。急遽出演が決まって、タイトルロールに間に合わなかったとか、そういうことなのかな?
北九州芸術劇場から、今月13日から四日間行われる、演出家・森田雄三さんのワークショップ「イッセー尾形のつくり方」の案内が届く。これで「正式参加」が決まったわけだが、ここに至るまでには、ちょっとした紆余曲折があった。
三ヶ月ほど前だったろうか、私としげは、参加者応募が始まってすぐにメールを送って、いったんは受け付けてもらっていた。ところが、先月になって、「参加希望者多数のため、選考を行います」という封書が届いたのだ。予定もしっかり空けておいたのに、なんちゅうこっちゃとは思ったが、人数に制限があるのなら仕方がない、選考基準はなんじゃらほい、と思って手紙を読んでみると、「あなたがワークショップの参加者に質問してみたいことを書いてください」とのこと。同じ参加者に対して、という形式ではあるが、つまりは、参加者が「どういう気持ちでこのワークショップに参加したいのか」、自分自身に問いかけてみよう、ということなのだろう。
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09月05日(月)
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