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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■出た出た糖が♪/映画『コーラス』
Yahooの掲示板で、『Zガンダム』の感想など見る。
案の定、賛否両論で、賛の方はともかく、否の方はかなりヒステリックである。たいていは「なんだあのダイジェスト版は」というものだが、初見の感想でも書いた通り、あれは通常言われるダイジェスト版とはまるで違うのだ。と言うより、「ダイジェスト版だ」と思ってしまった瞬間に、あの映画の本質も面白さも見失う仕掛けになっている。
例えば殆どの批判者は、「あれでは世界設定も人間関係も分からないではないか」という、ムカシのファースト三部作の時にも散々口汚く言われていたことを書きなぐっている。しかし、私が不思議でならないのは、『Z』を見たことがない客に対してもあれだけ「分かりやすい」構成と演出がなされているというのに、どうして「テレビシリーズを見ていないと分からない」と断言する連中がやたらいるのかなあ、ということなのである(実際、初見でも面白かったという意見も多いというのに)。テレビシリーズを見ているファンは、どうしてもカットされている部分を知っているものだから、脳内でその部分を補って、「この描写がないと意味が繋がらないではないか」と考えてしまうのだろうが、逆にカットされた部分を思い出してしまうと、新作部分との整合性が崩れてしまうことになる。だからあれは「ディレクターズカット版」であって、あれ以外の描写は存在してないの。
例えばレコア・ロンドとカイ・シデンの出会いだってカットされているのだけれども、それがテレビシリーズの通りであったとは限らない。というか、あの描写なら、「レコアが捕らえられた牢獄にカイもいた」と解釈して何の問題も生じない(カイが誰だか分からない、という人には唐突に見えるだろうが、だから「ファースト」のストーリーだけは知っておく必要があるのだ。「続編」なのだから、『Z』から見ようってのはさすがに無理である)。また、幽閉されて再び戦うことを逡巡していたアムロが、次のシーンではもうカツと行動を共にしているのは、小気味よくすらある。あの展開の早さゆえに、「アムロの迷いや愚痴はただのポーズで、実はティターンズに反旗を翻す機会を狙っていた」という解釈が成り立つ。あれならアムロはヒネた中年にならずにすむわ(笑)。「新訳」とはそういうことなので、同じ絵とセリフを使いながら、テレビシリーズとはキャラクターの設定も意味も全く別物になっているのである。だからテレビのことは忘れなさいって。
そもそも、そのように怒る人たちは、何をどこまで理解できれば気がすむのであろうか。もともとの『ガンダム』シリーズを全て理解しており、その上で『Z』は説明不足だ、とでも言いたいのであろうか。だとしたらその人はかなり傲慢な人間である。これも有名な話であるが、テレビシリーズでは、「ミノフスキー粒子」の説明すらなされたことはないのである。オタクはすぐにガイドに頼るから、「ミノフスキー粒子が分からない」とヒトコトでも言えば、鼻息吹かしてウンチクを垂れまくるが、そもそも『ガンダム』シリーズの「物語」を楽しむのに、ミノフスキー粒子を理解していることが絶対必要条件であると言えるだろうかね? 『Z』に関して言えば、冒頭のナレーションで示されている「ティターンズとエゥーゴの対立」が理解できていればそれで充分で、キャラクターは全てそのどちらかの陣営に所属するように「分かりやすく」配置されている。シロッコの登場シーンを見て、こいつが「ティターンズ側だ」と気づかない者がいるだろうか? いたらそいつは小学校低学年以下の理解力しか持っていないと判断されても仕方あるまい。
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05月31日(火)
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