ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491675hit]
■橋本幸治監督、死去/舞台『エデンの南』ほか
オタクアミーゴスの公演で唐沢俊一さんが橋本監督について紹介していたエピソードだが、「『さよならジュピター』を監督していたとき、製作総指揮の小松左京が主題歌を×曲も入れようとしたのを橋本監督がなんとか4曲にまで減らした。そのことだけでこの監督はたいした人だと思った」(×の数字は6から9くらいまで随時変わる)ということである。古くからのSF・特撮ファンなら先刻ご承知だろうが、「日本初の本格的SF映画」と銘打ったあの映画の中で、松任谷由美と杉田二郎のなんともふやけたニューミュージックがやたら流れて、当時の観客に滂沱の涙を流させたのである(もちろん感動の涙などではない)。
特に、ジュピター教団の教祖役の杉田二郎(今見ると例のグ○氏にソックリである)が、可愛がっていたイルカの「ジュピター」が死んでしまって悲しみの余り即興で作った「さよならジュピター」、これがもう空前絶後の駄曲なのだ(あのタイトルの「ジュピター」って、木星のことじゃなくてイルカのことだったんですよ、奥さん!)。「きみはー、とてもー、おおきーくてー」なんて腐れた歌詞を聞かせられて、内心「やめてー!」と悲鳴を上げていた観客は当時ごちゃまんといたはずだ。……今でも劇場の雰囲気を覚えているが、「オレたちは今こここに座ってなんでこんな映画見せられてるんだろう?」という脱力感が一面に漂っていた。
もちろん『ジュピター』のどうしょうもないところはそんな「歌」程度のものではないのだが、諸悪の根源は小松左京御大にあったと言えなくもない(なんたって、テレビ番組に出た時、「この映画の見所は?」と司会者に聞かれて、「無重力セックス!」「……ほかの見所は?」「無重力セックス!」と答えたヒトである)。けれど、『ゴジラ』の出来が結局アレで、しかもエンディングでザ・スターシスターズというなんやよう分からん外国人女性グループに『GODZILLA(愛のテーマ)』を歌わせて、再度ファンを脱力させたことを考えると、やはり橋本監督にも何か「ズレ」があったことは否めないと思うのである。
監督になった時期も悪かったのかもしれない。実際に、映画を殆ど自社製作しなくなっていた当時の東宝(今でもそうだが)では、映画製作に当たって監督として立てることができたのは橋本監督以外にいなかった。しかも『ジュピター』も『ゴジラ』も自分で企画を立てて作りたいものを作ったわけではない。結局、この二作だけでは「橋本監督はどういう映画監督だったのか」、分析することは困難なのである。
橋本監督は東宝に監督としての生命を殺されてしまったのだろうか。そう考えると、『ジュピター』も『ゴジラ』も、駄作と言うよりも「兵どもが夢の跡」、刀折れ矢尽きた悲しい遺骸として見えてくる。『ゴジラ』のラストシーンで、首相役の小林桂樹はゴジラの死に涙を流す。いったい何の涙なのか、当時の観客は脈絡の分からぬその涙に失笑し、あるいは大笑いした。私も失笑したその一人であったのだが、その後の十数本に及ぶ愚作の歴史を思うにつけ、今はもうあのシーンを見て笑うことはできなくなった。今思うに、あれは橋本監督自身の涙だったのかもしれない。
01月10日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る