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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■風呂の夢を見る女
なにもそこまで、とは思うが、確かに『なんてっ探偵』17巻の方はクライマックスが近いのか、ミステリがどうのというより、アキラの恋の行き先がどうのとか、梨奈の妊娠がどうだとか、ラブコメ要素の方が強くなっている。確かにこれなら無理して買い続けなくてもいい感じではあるけれど、ここまで来たし、あとちょっとはガマンしてもらいたいものだ。……『八雲』はわかった。諦めます(+_;)。
『ウルトラ』シリーズの新作タイトルが『ウルトラマンネクサス』に決定。なんだかまたややこしいタイトルを付けたものだけれど、この「ネクサス」っての、日本語訳すると「関連」って意味だけれど、多分、「絆」って意味を込めて付けたんだろうな。「超人絆」。……これがウルトラマンの名前かね?
旧・円谷ファンのみなさん、『ティガ』以来ずーっと感じてきている、なーんとも言えない「胡散臭さ」っつーか、「薄皮が張りついてるような感じ」、今度もまた感じませんか?
『コスモス』で「専守防衛」に回っちまった展開に、もうすっかり円谷作品を追いかける気力をなくしてしまった私ですが、それでも1話、2話くらいは見てしまうのでしょう。もういちいち感想書いたりはしないかもしれませんが。いやもう今の子供たちの「ウルトラマン」や「怪獣」に対する思い入れと、私らのそれとではエベレストとマリアナ海溝の差くらい、距離がありそうで、なんか書いたってなあ、という思いがどうしてもしてしまうわけなんですよ。散々いろんな作品に文句つけてきたオマエが、今更何を言ってんだ、と思われるかもしれませんが。
確かに、この日記では、いろんな作品についてあーだこーだと文句タラタラ、言いたい放題のことを書き連ねているわけなんですけれども、実際「なぜ書くのか?」ということについては「考えたら書く理由なんてなくなるから、考えないようにしよう」と日記書き始めた最初から決めてるんです。別に文句をつけることで、その作品の関係者が偶然でもこれ読んで反省してくれたら、とか、そんなことを私ゃこれっぽっちも考えちゃいない。私ゃ啓蒙家でも警世家でも教育者でも預言者でも何でもありゃしませんから、「オレの歌を聞け!」……もとい、「私の言葉に耳を傾けよ」と人の胸倉掴まえて何か言い聞かせたいなんて欲望はないんです。もともと女房が始めた劇団のホームページの「宣伝」の意味しかありませんでしたからね。けど、書くことがないからと言って、何も書かないんじゃ宣伝にもなんにもなりゃしない。だからともかく「その時思ってたことを理由なんて考えずに書く」。それをしてきただけなんですね。
実際、私は自分の意見なんて最大公約数的なありふれたものとしか思っちゃいません。読んで面白いとも思わない。けれど、そういう「ありふれてる」意見だからこそ、そういうのがネットに溢れていくと、自然とそれが一つの「時代」に対する「雰囲気」を作り上げていくことになる。その時代がどんな時代であったかという「記録」の一つになるんですね。それくらいの「意味」でならこんな駄文にも書かれるだけの存在価値はあるでしょう。ひと世代、ふた世代あとの人が、「ふーん、自分の生まれる前、この作品はこんな捉えられ方をしていたのか」って考える材料の一つになりゃ充分、その程度のものですね。
でもそれでも『ウルトラマン』の新作については、ひとつ作られるたびに、何か言いたい思いが雲散霧消してしまう。……言ってどうする? 今の円谷は、昔の円谷とは全く違うものなんだよ? ……そのヒトコトで終わっちゃうからなんですね。
『ティガ』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。
『ダイナ』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。
『ガイア』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。
『コスモス』の時も、「もうこれウルトラマンじゃないや」。
『仮面ライダー』が、昔のものと形は変われど本質的に石森章太郎テイストは失っていないのに比べて、『ウルトラマン』は何をしようとしているのか。……それ考え出すと、虚しくなるばかりなんですよ。もう、文句言う元気もないってゆーか。
それでもまあなんだかなあ、と思ったことが一つ。いやもう重箱の隅で、ホントにたいしたことじゃないんだけれども。
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07月22日(木)
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