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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■演劇人必聴! 森田順平さんのお話。
劇作家のディドローが、『演技のための逆説』の中で、こう語っています。『役への感想は、役者自身ではなく、観客が感じるものである。観客を感動させるためには、自分自身の感動に溺れてはならず、常に冷静を保っていなければならない』。
つまり、逆に、『乾』とはこんなトンデモナイセリフを堂々と迷いなく言える人間なんだ、という見方をしなければいけないんです。『乾』という人間とはどんなやつなんだろう、どんな経験をして、どんな考え方をして生きてきたのか、そこから『乾』という人間の現実主義、個人主義が見えてくる。そこを考えることで、ようやくこのセリフを言えるようになる。これが、『役』の内面を作る、役を一つの大きな木に譬えるなら、その『幹』の部分を作る、ということなんです」
これは、内面から役を形作っていくという、『ガラスの仮面』でもお馴染みの(^o^)、アクターズスタジオのメソッド、即ち、演劇人には常識のスタニスラフスキー・システムがベースになっていることである。
「常識」と書きはしたが、近代演劇の基礎理論であるにも関わらず、若い役者の中にはこんな言葉、聞いたこともない、という人も少なくなくなっている。西洋の演劇に範を求めた新劇の勃興以来、ひところまで日本では、猫も杓子もスタニスラフスキー、スタニスラフスキーとやたら喧しかったものだったが、その反動もあってか、最近の演劇シーンでは(特に小劇場系では)必ずしもスタニスラフスキーシステムは重要視されなくなっているのである。しかし決して無視してよい理論でないことは、自分が役者として演技してみて、「内面のない演技」が説得力を持ちえない事実に気づき、初めて理解できることである。「スタニスラフスキー復権」を唱える演劇人ももちろんいなくなってはいない。
ただ、森田さんが仰るとおり、スタニスラフスキー・システムは「役」という木の「幹」を作る作業である。木の「枝葉」を作るには、「内面から形」を作るのとは全く逆の、「形から内面を作る」作業も必要になってくる。
「アクターズスタジオでは、『アニマル・エクササイズ』という演技術も行われています。これは、ミハイル・チェーホフ(アントン・チェーホフの弟)の唱えた『サイコロジカル・ジェスチャー(心理的身振り)』を元にしているもので、平たく言えば内面の表現を行うために、ほかのもののマネをする、動物の仕草などを取り入れる、というものです。
例えば、マーロン・ブランドが『ゴッドファーザー』で演じたヴィトー・コルレオーネという役です。ブランドとという人はもともとあんな鈍重な演技をする人ではないんですが、あの指で机をなでるような動きは、ゴリラの手の動きを真似たものなんです。
私もある舞台で、台本のト書きに『時期社長の椅子が用意されてはいるが、全くといっていいほど覇気がない。ひたすら情けない男』とあって、全く自分とはかけ離れた役で、どうにも自分の中に取っ掛かりがなくて、途方に暮れたことがありました。仕方なく、『形から入る』ことにしまして、鏡を見て、とにかく『情けない顔』を作ってみたんです。猫背で歩いて、その時自分の気持ちがどう変化するか。そうするとだんだん気持ちが情けなくなつていくんですね。そうやって、自分の『気持ち』を作っていくんです。
みなさんも試しに演じてみてください。『好いとう』というセリフを、まずは“普通に”言ってみる。次に“俯いて”言ってみる。“両手を上げて”言ってみる。“両手を広げて”言ってみる。気持ちが変化しませんか?」
1時間半あまりのお話の中で、やはり一番興味を惹かれたのは、文学座での経験を話されるあたりである。杉村春子さんから「役者はセリフが言えなくっちゃね」と言われたことが森田さんの座右の銘となっているそうだが、最近の若い役者に対して森田さんがつくづく感じているのは、「肉声表現の経験の少なさ」であるとか。
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06月25日(金)
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