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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『座頭市』と『フイチンさん』と、長さんの死
 けれど、少女マンガがおメメキラキラの自己陶酔型の主人公を生み出していく更に以前の、こうした大陸的な大らかさを持ったストレートなシチュエーションコメディを、今の子供たちや若い人に読ませてみたとして、果たして彼らにこれを受容するだけの心の「余裕」があるものかどうか、私はそれを危惧するのである。
 けれどこういうマンガを適宜復刻してこなかったことが、昔のマンガの持っていた大衆的な魅力を、随分減じてしまっている原因の一つになっているのではないか。『フイチンさん』復刻、切に希望。


 ザ・ドリフターズのいかりや長介さんが、今日午後3時半、がんのため死去。享年72。
 しばらく前から覚悟はしていたので、突然のショックというものはない。けれどすぐには認めたくない。以前、ドリフの中で誰が死んだら一番さみしいかなと考えたことがあったが、カトちゃんでもシムラでもなく、長さんだなあと思った。
 コメディアンとしても役者としても、長さんは決してうまいとは言えない人だった。アイデアマンだし、演出家としては優秀だったけれども、芸や演技、ということに関しては二流以下だったと思う。それは何より本人が熟知していたことであり、自伝『だめだ、こりゃ』にもその苦衷を書き綴っている。『8時だヨ!全員集合』の伝説のハプニング、停電事件のときには私も見ていたが、加藤茶たちが暗闇の中でも懸命にギャグを飛ばそうとしていたのに対して、一番うろたえてどうしてよいかわからなかったのが長さんだった。段取り通りにしか動けない、アドリブが効かない。人間としては実直でも、芸人としては殆ど失格だった。
 ヘタな芸人は、普通は生き残れない。人付き合いのよくない人間は周囲から嫌われる。長さんも何度も周囲と衝突し、激昂し、苦渋をなめる長い下積み生活を送っていた。1964年に「ザ・ドリフターズ」を結成してからも数年は目が出なかった。それが『全員集合』は視聴率が常時20%を越すおばけ番組となり、コメディアンとしての頂点を極めた。番組終了後も性格俳優としての評価が高まり、『踊る大捜査線』シリーズで数々の演技賞も受賞した。なぜそんなことが可能だったのだろう。
 運もあったと思う。ドリフのメンバーが長さんを支えていたということもあったろう。けれど、長さんくらい裏表のない人もいなかった。不器用だけれど一生懸命という昔気質の日本人が長さんの本当の姿だった。『全員集合』の長さんはいつだって一番、汗だくだった。そんな長さんも時々は弱音を吐く。長さんとの関係がギクシャクし始めていた居作昌果プロデューサーは、それを故意に曲解して番組を終わらせた。その卑劣ぶりと比較すると、長さんの頑固なまでの純粋さは哀しいほどに美しい。
 1987年あたりからポツポツとドラマに出ていたが、役者として飛躍したのは1990年の黒澤明監督『夢』に鬼役で出演したことがきっかけになっている。演技はやっぱり下手くそだったが、黒澤監督くらいヘタな役者の持ち味を引き出せる演出家はいない。鬼の悲しみは切なく私の胸を打った。黒澤監督の晩年の三作、『夢』『八月の狂詩曲』『まあだだよ』の中で、『夢』の出来が一番いいが、その功績には長さんの芝居が確実に寄与している。
 これで世の演出家たちも、長さんの「使い方」がわかったのである。長さんそのままでありながら、そうではない一生懸命な役。それが長さんにはうってつけだったのだ。91年の松本清張原作の『黒い画集〜坂道の家』などで長さんは、老残の人間の醜さまでも熱演するようになったが、多分それは長さんの中にもともとあったものだ。それをそのまま出した。だから芝居はヘタでも、そこには鬼気迫るリアリティが生まれていた。普通の人間は、日ごろ流暢な喋り方も出来ないし、しようとすればどこかが不器用になる。かっこよくはなれない。そういう人間ばかりを長さんは演じるようになった。それしか出来ないからでもあったが、そういう人だと「見抜いてもらえて使ってもらえた」ことが、長さんが幸せだった証拠だと思う。

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03月20日(土)
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