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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「時代劇の復興」というのはこういうのを指すのだ/映画『座頭市』ほか
夕べもよしひと嬢がお泊まりであったが、公演直前で朝の十時から夜の十時まで12時間ぶっ通しの練習、おかげでうちに来るなりヘロヘロである。シティボーイズの公演『パパ・センプリチータ』を見せてたのだが、2時間見切れず、途中でダウンしてしまった。
で、今日も朝から練習である。
こちらは呑気に今朝も『アバレンジャー』から『鉄腕アトム』までアニメ、特撮三昧なのだから、テメエだけ楽しやがってとか思われてるかもしれんが、脚本家は書くもの書いたらあとの仕事はないものなんで、恨まれてもどうにもしようがないのである。
アニメ『鉄腕アトム』第22話「さよならプリンセス」。
アトム版『ローマの休日』ですね。リノを主役にしたのは、カーヤの相手役がアトムだったら、また人間とロボットは愛し合えるのかという難解なテーマを扱わなきゃならなくなるからかな。アニメはここんとこ、どんどんウス味になってく感じだけれども、言い換えれば、原作の描写がどれだけ濃密だったかってことだよな。ロボットの妻と結婚して暗殺される金三角とか、子供向けアニメにしにくいんだろうけど、それやらなきゃアトムじゃないんだし。
護衛の目を眩ませて、メトロシティに逃げこんだマユ−ラ王国の姫カーヤ(サファイヤっぽいけど髪形がちょっと違う)。彼女は、マユーラ王国の王位継承者の証しである「トゥーロンの徴(しるし)」を狙っているゼド(多宝丸)たちに追われていた。リノ、そしてアトムたちは、彼女をひょんなことから匿うことになり、自由な時間を過ごしたい彼女のために、変装をさせて町を案内することにする。けれどゼドたちの魔の手はすぐそこに迫っていた。
まあこういう話は“演出で”ヒロインをいかに魅力的に見せるかってとこに命がかかってるんだけど、ちょっと普通の女の子として描き過ぎてないか。定番の話をやるならやるで押さえとかなきゃならない展開ってものがあるんだが(たとえば王女が市井に混じることで起きるカルチャーギャップな騒動とか)、なんか「筋をなぞってるだけ」って話が多すぎるんだよな。もうすぐ青騎士も登場するらしいってのに、こう腑抜けたエピソードが続くと、期待度がどんどん下がって来るんだけどなあ。
カーヤの侍従ドンパは、パッと見たらヒゲオヤジに見えるんだけど、ヒゲが曲がってるからブタモ・マケルなのかも。せめてキャラデザインくらいは中途半端なものにしてほしくないよなあ。
『笑っていいとも増刊号』に、小松政夫さんが出演、タモリといきなり「材木屋」のコントを披露してくれてたのを偶然見る。こういうのがあるから「サンデーモーニング」なんか見ちゃいられないのである。
あとはまたひたすら日記書き。
で、受賞記念と言うわけではないが、ワーナーマイカル福岡東で映画『座頭市』。しげはこの機を逃すとまたしばらく映画を見る時間がなくなっちゃうので、練習終わってくたびれてるからだをムリヤリ映画館まで運ぶ。私にはそれはもうムリだ。夜、映画を見ようと思ったら、前日からたっぷり睡眠を取っておかないととても持たないのである。
さて、この映画の魅力をどう語ればいいものやら。これまでの北野武映画の最高傑作と呼ぶ人も多いとは思う(まあ私も何本か見てない北野作品もありますが、だいたい同じ評価)。
けど素直に「面白かった」と語るのに抵抗があるのも事実。これまでの北野作品を見てきた人ならご理解頂けると思うが、北野監督には、映画、ドラマのセオリーをわざと外す癖がある。それはつまり手塚治虫のヒョウタンツギみたいなもんで、北野監督の「照れ」なのだが、時代劇のようにセオリーがガッチガチに固まってる分野でそれやると、多分昔ながらの時代劇ファンで「なんじゃこら?」って反応する人もいると思うんだよね。
一例を挙げれば、座頭市の「金髪ほかの設定」なんかがそうだ。勝新太郎の座頭市にとらわれない映画を作るためには、これくらい思い切った手を使う必要があるが、旧来のファンが「噴飯もの」と怒ってもおかしくはない。
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09月07日(日)
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