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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トリビアン・トレビアン!/『濃爆おたく大統領』1巻(徳光康之)/『壁際の名言』(唐沢俊一)
必ずしも視聴率のことを想定してはいなかったとしても、画面を埋めるインパクトのある絵がほしい、と考えていたとは思うのである。
「ももたろうの歌詞は別に何の変哲もないものである」
この時点で、「そのネタをボツにする」選択を選ぶこともできたはずなのに、「なんとかネタとして笑えるものにしよう」「残酷な絵を入れて、ももたろうの残虐さを演出しよう」という方向に向かったのと、
「本当はホームレスの男性は両親に許されていない」
それならば、「現実には人間関係が簡単に修復できるものでもない」という事実を冷静に報道することもできたはずなのに、「なんとか誰も傷つかないみんなが幸せになれる話にしよう」「手紙を親戚の人がちゃんと受け取った絵を入れてハッピーエンドを演出しよう」とヤラセに走っちゃったのは、ディレクターの心理構造としては全く同じである。
前者が特に責められず、後者が強い非難を浴びるのはなぜか。
そりゃ、バラエティとニュースの違いだろう、というのはその通りなのだが、よく考えてみれば、『トリビアの泉』にそんな「ヤラセ」を誰かが求めているのかと言えば、実は誰も求めちゃいないだろう、とも言えるのだ。
実のところ、「トリビア」で紹介されているネタ自体は、もともとそれほどおもしろいものでもない場合が圧倒的に多い。それを面白くするためにある程度の演出が必要なのも理解はできる。けれど視聴者は、「つまらないものをおもしろく見せろ」なんて思っているわけではないのだ。日常、普通に生活している中でなんとなく見逃しているものの中に「へぇ」と感心するような事実が隠されていること、それを発見する面白さをこそ「演出」してほしいのだ。
『トリビアの泉』は、その演出の方向を明らかに間違えているのである。
それにしても「ももたろう」の歌詞が「トリビア」になると考えた投稿者がいたってことが私には不思議だ。もう「ももたろう」の歌詞なんてみんな知らなくなっちゃったってことなのかね? もしかしたら、本当にあれが「残酷だ」とか考えちゃった幼稚園の先生がいたりして、後半を歌わせないようにしてるとかいう事実があるんだろうか? いや、ヘタをすると「ももたろう」の話自体、今の若い人は聞いたことがないのかも。
そのうち、『赤ずきん』を改作して最後に助かるようにしちゃったように、「残酷じゃないバージョン」の日本昔話もいろいろ作られちゃうのかもね。
「鬼を退治しないで説教するだけの『桃太郎』」
「お爺さんにならずにもとの世界にタイムスリップする『浦島太郎』」
「月に帰らずにお爺さんお婆さんと幸せに暮らす『かぐや姫』」
「実は鶴だったことがバレても更に機を織り続ける『鶴の恩返し』」
「撒いた灰の不思議な力で、いったん死んだポチも蘇える『花咲か爺さん』」
「大きいつづらにも実は宝物がいっぱいだった『舌切り雀』」
「小さなままでもボクは立派な人間さ! と大きくならない『一寸法師』」
「猿が柿をちゃんとカニに分けてやる『猿蟹合戦』」
「本当は青鬼も優しいやつだったことがわかって、みんなで仲良く暮らす『泣いた赤おに』」
「傷が浅くて命が助かる『ごんぎつね』」
最後の二作は昔話じゃなくて創作童話だけどまあいいか。
なんか冗談みたいだけど、実際、「お婆さんもお爺さんに食われず、タヌキもおぼれかけたけど助けられて謝る『かちかち山』」ってのはあるから、油断はできないのである。
唐沢俊一『壁際の名言』(海拓舎・1365円)。
オビに「フジTV『トリビアの泉』のスーパーバイザー」と唐沢さんには珍しく自己宣伝。
「もう、並の名言では癒されないあなたに贈る特盛名言!」ともある。裏モノとしての唐沢さんが、古今東西の有名・無名人の、非道徳かつ自由洒脱でココロ晴ればれとする名言珍言を集めたものだ。
偉人の名言・箴言・警句・格言というものは、たいていの場合、それを引用する人間の我田引水的な解釈によって成り立っている(←これもなんか名言っぽいな)。
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07月16日(水)
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