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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■亡霊ふたたびみたびよた……/映画『Jam Films』/『魔法遣いに大切なこと』2巻(山田典枝・よしづきくみち)ほか
三浦さんが本当に事件の真犯人であったかどうかについては私は興味がない。当時、『週刊文春』の「疑惑の銃弾」シリーズを読んだとき(再録本でだけど)、恐らくはSFファンの誰もが感じただろう「これって、筒井康隆の『俺に関する噂』じゃん」という感想を持った。
事件当時、知り合いに「あの報道はないよなあ」と言ったら、「じゃあお前は三浦が犯人じゃないって言うのかよ」とトンチンカンなことを言われて、まさしく「ニュースが価値を決定してるんだなあ」と怖い思いに駆られたものであった。松本サリン事件の冤罪事件もそうだったが、マスコミも大衆も、自分の望む真実に近い報道を求めてるだけなんで、実は「真実の報道」なんてものはハナからないがしろにしているのである。
この国のマスメディアが始末に悪いのは、彼らが語り大衆が需要している「報道」もまた「物語」であり「虚構」に過ぎないのに、それがあたかも「真実」であるかのように錯覚している点である。「情報」が嘘に過ぎないことを自覚してるヨソの国との情報戦に負けちゃうのは仕方がないんだよなあ。
文芸春秋の雨宮秀樹社長室長は、「残念の一語に尽きるが、『三浦事件』が『なかった』ことを意味していない。殴打事件で三浦被告の懲役6年が最高裁で確定していることを忘れてはならない。人権に配慮しつつ闇に隠れた犯罪を明るみに出す役割を今後とも続けていきたい」と発言。
……悪いけど、その「闇に隠れた」って部分が「予断」なんだよな。正義派を気取る人ってさあ、不正が横行して何の告発もされてないのをやたら憤るけどねえ、その背景にある心理って、たいてい「自分らだけ美味しい思いしやがって」って浅ましい根性に過ぎないんだよねえ。社×党の辻元某が(^o^)不正を追及する立場を標榜しといて、自分もやっぱりセコいちょろまかししてたのでもわかるでしょうに。みんな「バレなきゃ何やってもいい」と本音では思ってるくせに、「上手くやった」ヤツをやっかむってのはあまりにみっともなくないか。
最初に書いた通り、私は三浦さんが本当に誰かを雇って奥さんを殺したのかどうか、その真実に興味はない。「真実はいつも一つ!」と思いこんでる連中に対して嫌気がさしてるだけなのである。
終日、雨ふり。
今日も晩飯はマクドナルドのドライブスルーで、てりたまバーガー。おぜぜがないのでしげのオゴリである。
「なにがすいいと?」と聞かれたので、「昨日と同じでいいよ」と言ったら、「てりたま」は買ってくれたが飲み物は付けてくれなかった。昨日は「QOO」もおごってくれたのに、オゴリが続くと段々とそのオゴリ度が低くなっていくのである。
経済的な妻なことである(←もちろんホメ言葉ではナイ)。
公開終了が本日の映画『Jam Films』。
なんだかズルズルと見るのを引き伸ばしてたのは、時間が合えばしげと一緒に見に行こうと思ってたからなんだが、結局しげは全然興味を示さなかった。
買っといた前売券がもったいないので、そぼふる雨の中、天神の外れのKBCシネマまで。前にも書いたが、ここ、ミニシアターと言えば聞こえはいいが場末の名画座みたいな雰囲気で、ちょっとうら悲しい気分になっちゃうのでちょっとばかし行きにくいのである。
オムニバス映画には二種類ある。
一つは一人の監督がいくつかの短編を映像化するもので、和田誠の『怖がる人々』や石井輝男の『ゲンセンカン主人』『ねじ式』などがこのパターン。オムニバスと呼んでる人は多いけれど、厳密には連作短編集的な色彩が強く、「乗合自動車」としてのオムニバスとはちょっとニュアンスが違う。けれど映画としては一人の監督が統一感を持って映像化するから、秀作、傑作も生まれてくる。
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03月07日(金)
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