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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■S(エス)の悲劇/DVD『みんなのいえ』/『ブレーメンU』4巻(川原泉)
いや、見てなかったにしても話くらいは聞いてておかしくない。小林さんは控え目に『スチャラカ社員』だけを挙げているが、吉本新喜劇をガキのころから見続けている者なら、「日本初のシットコム」なんて発言は不遜過ぎてできるものではないのである。全盛時の『あっちこっち丁稚』のギャグに次ぐギャグは、「土曜の昼は吉本」って習慣を関西以西の人間に刷り込んでいた(いやマジ)。
少なくとも「シットコム」なんて、腐るほど見てきているのである。どうも関東生まれの人間というのは、自分たちの文化にしか目が向いていない悪いクセがある。好き嫌いならそれも仕方がないが、文化全体を捉えて論考する場合、それは余りにも大事なものを見落としてしまうのではないか。
無知は場合によっては、文化を殺し、人を殺すのである。三谷さんの「思い上がり」に対しては、そろそろクギを刺す人たちが出て来たほうがいい。演劇界にはそういう人もちょこちょこいるんだが、テレビ界では今のところそれが小林さんだけに留まってるように思う。ヌルイ批判は受けてるけど、もっとハッキリと「テレビ向きじゃないよ、アンタの才能は」と言ってやったらどうだ。
……てな言い方もまだ軽いか。
三谷さんには耳がイタイかもしれないが、実は三谷さんのテレビコメディのほとんどは視聴率を取っていないのだ。なのになぜ次々と脚本の依頼が来るかというと、やっぱり「三谷幸喜神話」みたいなものができあがっているせいなんである。
そういった信仰ができたのは、実は『やっぱり猫が好き』『古畑任三郎』の2作品のヒットが大きい。舞台公演のいくつかは確かに出来がいいが、それらは一般の目には余り触れていない。私の勧める三谷幸喜の舞台ベスト3は『12人の優しい日本人』『出口なし!』『笑いの大学』だが、さて、どれだけの人がこれを見ていることか。
テレビシリーズは概してギャグのレベルが低い、あるいはテレビ向きではない、という点でつまらない。舞台に比べて、役者の使い方がヘタってのもあるだろう。
と長々と前置きをしといて、ようやく『みんなのいえ』の話になるのだが、設定の面白さにキャラクターがついて行っていない。まさしく「役者の使い方がヘタ」なんである。
娘夫婦が新居を建てようとする。
娘にはデザイナーの先輩がいて、娘の父親は大工である。娘は二人に自分たちの家を作ってもらおうと考えるが、昔気質の父親と、前衛的な先輩とではどうにも話が噛み合わない。
さあ、果たして家はちゃんと建つのか?
面白い設定だが、このドラマには一つの危険要素がある。
つまり、二人の争いは初めから勝敗が決まっている、ということだ。だって、結局「家を建てる」のは大工なんだから。
実際、ドラマは終始デザイナーの劣勢に次ぐ劣勢、途中、娘が中に入って父親をたしなめるが、それは決してデザイナー自身の力によるものではない。このあたりにこの物語を「舞台」にかけることに躊躇した理由がありはしないか。舞台では二人の力が拮抗したものでないとまるで映えないのである。
さて、この「盛りあがらない」ドラマをいかにカタをつけるか、と思ったら、三谷さん、実は昔気質に見えた父親のほうが職人魂を忘れていて、デザイナーの方が職人としての矜持を持って仕事に当たっていた、ということが判明する。
二人の立場が逆転するアクロバットな展開だ。このアイデアは実に秀逸であった。
でも、この映画で秀逸なところはそこんとこだけなんである。
最初に書いたように、役者の使い方が頗る悪い。
実はここまで、デザイナーである唐沢寿明、父親の田中邦衛、娘の八木亜希子には触れているが、ほかのキャストには一切触れていない。見せ場がないのである。チョイ役キャストならともかく、実は主役である娘婿のココリコ田中直樹に、見せ場がないとはどういうことか。
いや、三谷さんもなんとか田中直樹のシーンを作ろうとして、ラスト近くに嵐が来て家のことが心配になった娘婿、父親、デザイナーが集まるシーンを入れているのだが、これが逆に娘婿の存在がジャマにしかなっていないのである。
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01月19日(日)
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