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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■いつか見殺しにされる予兆/DVD『助太刀屋助六』/DVD『真夜中まで』
 岡本喜八監督、あのトシであの言語不明瞭な状態で、果たして映画がマトモなものになるのか心配だったんだけど、意外や意外、往年の冴えはさすがにないものの、よくぞここまで作れたなあってくらいの佳作。この程度のレベルの時代劇が常時作られていけば、時代劇ファンももっと増えると思うんだけどね。
 ともかく設定が面白い。
 出だしのナレーションがその世界観を見事に表していて、しかもテンポも抜群、これぞお手本、てな感じなので、ちょっと長いが、そのまま引用させて頂く。

 この男、別に気が触れているのではない。
 少しばかり足りないのでもない。
 いい若い者が子供相手に遊んでいるように見えるのだが、どうして本人はいたって大マジメ。世のため人のため、そしてなによりもまず自分のために、かくのごとく忙しいのである。
 この男、その日の得物は、手近にあった物干し竿だ。刃物は嫌いだ。抜いたこともない。いったい何事、と思った時には、こりゃもう敵討ちと決めていた。
 義を見てせざるは何だっけ、首を捻った時には物干し竿を絞る。

 この男、十七歳の時に故郷を飛び出して江戸へ向かったが、途中、ひょんなことから敵討ちに巻きこまれ、助太刀をやってしまった。その時の、何とも言えないいい感じ、何しろ侍の野郎がオレに頭を下げやがった。この俺にだ。これが病みつき。その上、無理やり俺の手に何やら握らせやがった。ズシリ。滅法いい感じ。これがまた病みつきになって以後七年。
 敵討ちを探しながら、流れ流れた……。

 流れ流れて七年目の春、ある敵からさる敵討ちに示談を、そう、示談。つまりは、金銭的話し合い方を持ちこまれた。
 十五両、大金である。でも、あぶく銭のやらずぶったくりでもある。第一、花の武士道はどうなる。
 え? そこまで地に落ちた?
 まあいいか。
 
 と、この男、いつしか鼻っ先を、生まれ故郷の上州に向けていた。
 とは言っても、誰かが待っているわけでもない。
 待っているとすれば、五歳のとき、三十五歳の若さで亡くなったお袋の墓だけだ。
 まあいいか。

 この男、人呼んで、いや、人は別に呼ばないが、助太刀屋助六。
 助太刀屋助六、粋なヤクザのつもりである。

 いかがですか、この名調子と反骨!
 私は黒澤明の映画を貶めるつもりは全くないんだけれど、あの人の映画はやっぱり「侍」の視点で描かれてるんだよね。私ゃもう先祖代々職人の家系だからさ、好みから行けば圧倒的にアルチザン・岡本喜八に軍配が上がっちゃうのよ。
 「義を見てせざるは何だっけ」、侍の理屈なんかどうだっていい。
 何が気持ちいいかって、「侍の野郎がオレに頭を下げやがった」。
 そう、江戸の昔っから、武士道なんて「地に落ち」てたんだ。
 「助太刀屋助六」と御大層に名乗っちゃいるが、「人は別に呼ばない」無名の人。これぞ岡本喜八の主人公だね!
 世の中ってさあ、バカでトンマでモノ知らずのお人好しな名もない庶民が作ってんだってこと、何の衒いもカッコつけもなく、サラリと粋に語れる人って、なかなかいないんだよね、黒澤さんの名作『七人の侍』ですら、「勝ったのは百姓だ」とか、いかにも「思想」が入ってるようなセリフを語らせてるじゃん?(間違ってもあれは「百姓賛歌」なんかじゃない。勘兵衛の淋しげな口調を思えばただの「侍の愚痴」に過ぎないんじゃない?)
 「まあ、いいか」はもう「思想」自体を否定してる。
 庶民には右だろうが左だろうがシューキョーだろうが、思想なんていらないんだよ。

 また、このファーストシーンに敵や敵討ちの役で懐かしい顔が続々出てくること。しかもナレーション通り、侍の胡散臭さが露なワザトラシイ演技(←誉めてます)をしてくれるもんだから嬉しくってもう。
 天本英世、伊佐山ひろ子、佐藤允、竹中直人、嶋田久作、田村奈巳。みなさんほかの監督の映画に出てる時よりも三倍増しくらい生き生きと演じていらっしゃるんだもの、岡本監督のことがもうめっちゃ好きなんだなってことが伝わってきて、心がほんのりと暖かくなっちゃうのよ。

 でもねえ、この素晴らしいナレーションを誰がやってるかって、岸田今日子なのよ。

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12月02日(月)
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