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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■あのころ/『コミック1970』
 なんだか無性に口寂しくなったので、セブンイレブンに寄って、ポテトチップスほか、普段は買わないお菓子類を買う。カラダに悪いことは分っているので、しげが止めるかと思ったが、「寒い、先に車に戻っていい?」と言って、さっさと店を出て行く。なんか気遣われてないなあ、と思って、ヤケになって食玩なんかもやたら買いこむ。
 手塚治虫コレクション、松本零時コレクション、いずれも原型製作は海洋堂。手塚治虫はブラック・ジャックをGET。これで揃ってないのは『W3』だけになった。でもこの「最後の1個」ってやつが、なかなか当たらないんだよね。

 帰宅して、『空飛ぶ雲の上団五郎一座』を見返しながら寝る。
 

 雑誌『コミック1970』(週間アサヒ芸能増刊12月1日号/徳間書店・390円)。
 1070年に発表された短編マンガを収録した雑誌創刊号。表紙は手塚治虫『アトムの最後』、松本零士『大海賊ハーロック』、みなもと太郎『ホモホモ7』である。
 これから1971、1972、1973、1974……と発行していくつもりらしいが、『コミック伝説マガジン』も休刊したってのに、現代までたどり付けるのかどうか(^_^;)。

 「人生って無意味なんだな」と自覚したのが小学校1年生の入学式のこと。「ここに、どうしてこんなにたくさんの人間が集まっているのか?」その疑問の答えがないことに気付いて、私は自分もまた無意味に生まれたのだという事実に気付いた。1969年のことである。
 それ以来、「儀式」というものが心の底から嫌いになった。だって全ての儀式は本質的に「葬式」なのだから。一つ儀式を経るたびに、我々は自分の心を殺しながら、いつか訪れる完全な死に向かってただ無意味に生き続けている。
 そんなヒネたことを考えてた小学生だった私が、1970年の「大阪万博」になぜあれだけ入れこんだのか、今思い返せば、私はアレに自分と地球の「最後の未来」を期待していたのだ。
 この世も捨てたものではない、未来には希望がある、この地球で自分が生きて行ってもいいものなのかどうか、それを「万博」が証明してくれるような気がしていた。前年、事故で死の淵をさ迷い、その後遺症に怯えていた私には「人類の進歩と調和」というスローガンは、どんなに安っぽく聞こえようとも、すがりつくことのできる甘美な誘いの言葉であった。
 ……何だかんだヒネたこと言ってもガキだったのである。
 私にとってのその「希望」の象徴がアメリカ館の「月の石」と「アポロ着陸船」だったのだが、当然あの熱狂の中ではそれを見る望みは叶わなかった。コロンビア館でもう一つの月の石は見てきたけど、当時の私にとってそれはただの「まやかし」に過ぎなかった。
 せめて乗りたいと思ったダイダラザウルスは相当待って乗った。当時世界最長と振れ込みのジェットコースターだったが、1時間以上待たされて乗っていた時間は1分程度のものだった。「終わったな」と思いながら、表面では「楽しかった」と父に愛想笑いする術を私はもう覚えていた。
 それ以来、私は自分の人生を余生だと思っている。

 父が私を万博に連れて行ってくれたのは、「住友館」に「未来の床屋の椅子」が展示されると聞いたからである。実際に見はしたのだが、今はどこにでもあるような、高さが上下するだけの床屋の椅子であった。
 父は立腹して「博覧会は二度と行かん」と言い、向後は沖縄海洋博にもつくば科学博にも行かなかった。私にねだられて、数年後に一度だけ、「万博跡地」を見に行った。パビリオンは一部を残して殆ど撤去されており、太陽の塔と遊園地だけがそこにあった。諦めきれない気持ちに諦めをつけなきゃなんないんだな、と思った。
 先日、万博タワーが撤去されたというニュースを聞いたが、もう私には何の感興もない。二度とあそこに行くことはない、という事実を噛み締めるだけである。


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11月06日(水)
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