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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トンデモ傷つきブリッコの世界/ドラマ『鬼畜』/『辣韮の皮』2巻(阿部川キネコ)/『ななか6/17』8巻(八神健)
というのも、しげは数ある日本映画の中でも、野村芳太郎監督版の『鬼畜』(昭和53年)が一番好きなのである(今回の監督は田中登)。私も松本清張の映画化作品の中ではこれが最高傑作だと思うから、結婚前、お互いに『鬼畜』が好きだと言うことで意気統合したのであった。そのころしげはまだ女子高生。いいトシしたオトナが女子高生と「あの子供を崖から落とすところがいいよねー」とか喋りあってる風景って、あまりゾッとしないよな(^_^;)。
『鬼畜』をご存知ない方のために、簡単に説明しておくと、この映画・ドラマの原作は、松本清張が知り合いの検事から聞いた実話をもとに脚色した犯罪小説である。愛人に産ませた三人の子供の始末に困った男が、子供を次々に崖から落として殺した、という事件。今でこそ親が子供を虐待して殺すケースは頻繁にニュースになってはいるものの、原作発表時の昭和32年には、相当ショッキングだと考えられたのだろう、下の赤ん坊こそ事故死に見せかけて殺したものの、長男と長女は命が助かる形に変更された。
最初の映画化では、緒形拳、岩下志麻、小川真由美の三人が好演し、三者三様の「鬼畜ぶり」を披露してくれた。あれだけの傑作に仕上がっていれば、再映像化はなかなかに困難である。その困難に挑戦した結果は如何、と、期待と不安が入り混じった形で今回のドラマ化を見てみたのだが……。
……驚いたね。出来がいいか悪いかって以前に、これ、「盗作」じゃないの? いや、そこまで言うのは言いすぎかもしれないが、映画版の『鬼畜』をそのままなぞった描写があまりにも多すぎるのだ。少なくとも脚本家の「節度」を疑う作りになっているのは確か。
もちろん原作が同じだから似るのは当たり前、という面はあろう。しかし、先の映画版には、脚本の井出雅人がオリジナルで付け加えたシークエンスが結構あるのだが、それを今回の脚本家の佐伯俊道、ほとんどそのまま流用しているのである。一番顕著なのはラストシーンである。犯人の父親が逮捕されて、殺そうとした子供と対面するシーンは、実は原作にはない。セリフが一字一句同じというわけではないのだが、子供が父親を父親と認めないところ、父親が泣き崩れる状況、その展開はそっくりそのままだ。……こりゃ、やっちゃいけないよなあ。
映画版を見ていなければ、そんなことには普通、気がつかない。しかし、『鬼畜』は清張作品の代表作の一つでもあるのだ。原作と映画とドラマと、その三つを全部見ている人も結構いるはずだ。なのに、こんなパクリがバレないとでも思ったのだろうか。もしかしたら佐伯俊道、老人ボケが始まってるのかもしれない。
この老人ボケ説、案外当たっているかもしれない。というのも、今回のドラマ化でのオリジナルシーン、例えば前回の映画では初めの30分ほどで姿を消す愛人が、今回は二度再登場するのである。しかし、一度目はともかく、二度目の登場は、はっきり言ってドラマ的には全く意味がない。男が逮捕され、呆けて留守をしている妻のところに愛人がやってくる。
「あの子たちを返して!」
「もう遅いのよ!」
妻はヒステリックに叫ぶが、このシーンはこれで終わり。自分の産んだ子が殺されたってのに、そのあとのリアクションを全く描かないというのはいったいどうしたわけか。ともかく、意味不明な原作の改変が多過ぎる。
原作からの変更、という点では、登場人物の名前もそうだ。前回の映画化は原作のとおりだったが、今回は主人公の印刷工、竹中宗吉は竹中保夫に、妻のお梅は春江に、長男の利一は保に、愛人の菊代は昌代に変更されている。……要するに名前の語感が古臭いからってことかね。名前だけ変えたって、キャストがみんなどヘタくそじゃなあ。保夫のビートたけしはビートたけしの演技しかできないし、昌代の室井滋と春江の黒木瞳は、まだキャストを逆にしたほうがマシである。そして、三人が三人とも、鬼畜ぶりが甘い。先の映画版の足元にも及ばぬ薄さ、貧弱さである。
……火サスは所詮、火サスなのかね。なんだか口直しに野村版『鬼畜』を見たくなっちゃったなあ。
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10月15日(火)
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