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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
 もう絶版になってしまったが、遠藤さんには『ラッコはじめました』を初めとする、一連の動物シリーズがある。たしか連載中は「人間と動物のよりよい関係(「共存」だったかな?)を考えるシリーズ」とかサブタイトルがついていた。
 遠藤さんファンの私だが、この動物シリーズだけはイマイチいただけない。自然を真面目に考えるんだったら、動物の擬人化には細心の注意が要るのだ。そうでないと、結局「動物たちの気持ち」ってやつも、人間が勝手に考えた妄想ってことになってしまう。梅川和美『ガウガウわー太』なんかも、登場する動物たちが人間的な意志を持ってはいても、動物としての生態を精緻に描くことで、なんとかギリギリのラインでリアルさを保っているのである。
 動物を人間として描く手法は、大島弓子『綿の国星』が有名だが、あれは実は「動物モノ」ではない。「ねこ」という名のファンタジーの住人なのである。さて、この『スマリの森』は動物もの、ファンタジー、そのどちらにもなりきれていない。主人公がキタキツネでなくても成立する話だし、「動物モノ」ではなく「人間モノ」として書きゃいいじゃんかよ、と言いたくなるエピソードばかりである。
 腰砕けしてしまったのは、人間に「ラスカル」と呼ばれて、自分のことを「ラスカル」という名前だと思い込んだアライグマの話。本当の名前をアライグマは知りたがっているのだが、主人公のスマリ(キタキツネ)が、「君はアライグマって言うんだよ」って彼に告げる……って、「アライグマ」ってのも人間が勝手につけた名前じゃん。問題の解決になってないというか、遠藤さん、自分で何を描いてるのか解ってるんだろうか。動物が本当の名前を知りたがるって設定自体にムリがあると思うんだが。
 遠藤さんが動物モノで描きたいことって、なんなのか? こういう意図が不明な話は、読んでてちょっとツライものがあるね。


 マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』4巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。
 『スマリ』よりこっちのほうが何倍も面白い。
 これも絶版になってしまったが、『エヴァンジェリン姫シリーズ』以来、お転婆というか無軌道というか外道というか、ともかく後先考えない行動で周囲を振り回す少女キャラを描かせたら、遠藤さんの右に出るものはないんじゃないかってくらい、破天荒な楽しさが遠藤さんのマンガにはある。
 もちろん、こういう「姫もの」は、倉金章介の『あんみつ姫』や手塚治虫の『リボンの騎士』以来の少女マンガの伝統なのだけれど、そのかつての「姫もの」のほぼ全てが『ローマの休日』的な、「お仕着せの権威からの脱却」を目指したもののバリエーションであったのに対し、遠藤さんの描く「姫」たちは、須らく自分に与えられた「権力」をフルに活用する。
 本作のアレクサンドラも、「大財閥の天才お嬢様」という設定で、現代の「姫」と言っていい。今巻も誘拐されたフォレスト君の行方を探すために警察から不法に情報をハックして入手するわ、誘拐犯のアジトにブルドーザーで乗りこむわ、やりたい放題。……富豪刑事かお前は。もちろん、そんな傍若無人なところがカタルシスを生んでるのだが。
 けれど、遠藤さんの最近の作品は、必ずしもかつてのシリーズほどには爽やかでスッキリした読後感を感じさせなくなっている。それはヒロインのアレクサンドラが、廃人となった父を秘匿し、代理として会社を経営しているという悲惨な立場に置かれている、という設定も関係しているだろうが、何より作者自身が「世の中には回復しない人間関係もあるのだ」という思いを少しずつ強くしていっているからのように思えてならない。
 フォレスト君と実の父親との出会いのエピソードもそうだ。ロクデナシで、山師で、フォレスト君の母親を妊娠させたあげくにポイと捨ててトンズラこいたどーしょーもない父親。フォレスト君と再会した今も、沈没した黄金船の引き上げ話で詐欺を働こうとしている。
 昔の遠藤さんなら、恐らく、一旦はアレクサンドラを引っ掛けさせて(『マダムとミスター』はたいていこのパターン)、ギリギリのところでフォレスト君が真相をつかんで、父親はまたもやどこかに蒸発して終わり、みたいな形でオチをつけたかもしれない。

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06月23日(日)
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